日本におけるジャムセッションのあれこれ
はじめに
僕は演奏活動をはじめて20年ちょっと経ちますが、その中でジャムセッションに参加したりホストも経験してきました。
この記事は読む人や解釈の仕方によっては否定的な表現に映ったり所々引っかかる表現もあるかもしれませんが、決して個人や特定のジャムセッションを揶揄しているのではありません。
この投稿をする理由の1つに「ジャズを演奏したいけどジャムセッションは雰囲気が怖いから参加を躊躇う」と言ったことや「初心者ばかりで張り合いがないのでもっと上手い人が集まるジャムセッションをやってほしい」など色々な意見を聞くようになった事があります。
炎上しそうな話題も多く含まれていますが、ジャムセッションが生まれた背景やジャズが現代の日本ではどのように享受されているのかということも踏まえながら、ジャムセッションに参加する人やセッションホストをしている人、お店の立場などさまざまな人が読むことを考えた上での最近の僕の考えを読んでみてください。
◼︎ジャムセッションがどのようなものなのか
◻︎20年以上前
僕は1998年からジャムセッションに行き始めましたが、当時高校生だったのにも関わらずタバコの煙にまみれながらお酒の飲めるお店でのジャムセッション。
禁煙や分煙が進んだ現代では高校生がそんなところに入るなんて考えられませんがそれが許される時代でした。おそらくそれが許された最後の時代ではないでしょうか。
当時は地元でジャムセッションをやっているお店はそれほど多くなく、プロもアマチュアもみんな一緒になって演奏していたので、それが刺激的な時間になり僕がプロを目指すきっかけになった時期でもあります。
神戸の音楽専門学校へ進んだ後もジャムセッションにはあちこち積極的に参加し、知り合いから教えてもらった曲やセッションで演奏した曲は全てリードシートを作ってファイリングし、自分のレパートリーとして増やしていくのが楽しくてどんどん曲を覚えて行きました。
プロのミュージシャンもセッション会場に頻繁に顔を出し、一緒に演奏して貴重な経験をたくさんし、その中でいろいろなシビアなやりとりも経験したり見たりしてきました。
◻︎現在
現在、巷で多いジャムセッションはどちらかと言うと和やかな雰囲気の中で行われるものが多いのではないでしょうか?
初心者向けジャムセッションなど、昔と比べるとジャムセッションに参加するハードルは低くなり、サークル活動的な集まりで和気藹々と進められる雰囲気の所が多くなったと思います。
また、昔は通常のライブが終わった後に行われるような夜通しセッションをやっているお店もあったりして、学生の頃終電を逃して夜中のセッションに行き、次の朝に帰るようなこともありました。
今はライブが終わったらお客さんも早々にお店を出て終電までに帰ると言うのが当たり前になってきました。コロナ以降は特に顕著になったのではないでしょうか?
時代の変化ではありますが、その変化を実際に感じると少し寂しい気がします。
◻︎近年あちこちで言われること
「ジャムセッションはもっとシビアであるべき」
と言う意見が多くありますが、
「ジャムセッションに参加しにくいのは、初心者を寄せ付けない排他的な集まりだから」
と言う事を言う人もいます。
昔からのジャムセッションを経験した人からすると今は随分とゆるい集まりになったように感じます。僕もそう思います。
もちろん僕は前者の意見ですが、ここ10年ぐらいでまた両者とも違った新しい考えを持つようになってきました。
◼︎ジャムセッションの形態について
日頃行われているジャムセッションにはさまざまな形態があると思います。
初心者セッション
中、上級者セッション
仲間内の集まりセッション
新参者歓迎セッション
譜面禁止セッション
ボーカル向けセッション
ボーカルなしセッション
ジャンル縛りセッション
ジャンルレスセッション
など、このような形態が入り乱れており、クローズドなものからオープンなものまで多種多様。それぞれの会場でのローカルルールなどもあり、雰囲気も全く異なります。
◻︎初心者向けセッション
初心者が集まるセッションは2005年頃から増え始めてきたのではないでしょうか?それまでジャムセッションと言うと上級者が多くて殺伐とした怖い雰囲気の所が多かったように思います。
ソーシャルメディアの発達により、同じ趣味を持つ人同士が容易く集まるようになり、趣味の演奏の延長でセッションをやるという形態が増えてきたのではないでしょうか?
2005年ごろはソーシャルメディア黎明期でmixiやGREEなどが日本で流行し、そこで「初心者セッション交流会」などのコミュニティができ、同じようなレベルの人同士で楽しくできる演奏会が催されるようになったりと、ジャムセッションのハードルはぐっと下がったように思います。
この流れは僕はとても良いことだと思いました。ジャズに興味を持つ人たちが増えたし、楽器を始める方も増えたのではないかと思うからです。
実際にこの辺りから今も続いているコミュニティが今も多くあります。
◻︎中級者以上のジャムセッション
昔からある、プロやそれに近いレベルの方が集まるいわゆる「シビアなセッション」で、プロを目指す学生や若者が多く、馴れ合いではなくお互いが刺激し合ってこの中からプロになっていく人たちも多くいます。
僕はこのようなセッションを経験してプロの人たちと出会い、今も繋がっている人がたくさんいます。
2000年ごろまではジャムセッションというとこの形態が多かったのではないでしょうか?ジャズを始めたばかりの人は近づき難い印象があります。
このようなレベルのセッションに対応できる技量を持ち合わせずに参加してしまうと、周りについていけず置いてけぼりになりやすいです。
◻︎ボーカルセッション
歌の方が参加される場合、そのほかの楽器の方に敬遠される事があります。過去に僕がセッションホストをしていた時に参加者から「ボーカル無しの曲でお願いします」と言われた事があります。
これはボーカリストに悪意があって書いているのではなく、そもそも楽器演奏の目的でセッションに参加している人は歌無しの曲をやりたい傾向が強いからです。
ボーカリストが入るとどうしても「歌の伴奏」となってしまう事で楽器メインの演奏にならないため、セッションの満足感が得られないと言う人が多くいます。
そしてこれはまた別の問題であり炎上しそうな表現になりますが、ボーカリストは譜面が書けない、読めないなど、ほかの楽器に比べて相対的に音楽に関する知識が不十分な方が一定数おられるのも事実です。
もちろんほかの楽器に負けない歌唱力、表現力を持っておられる方もたくさんおり、一概にボーカリストを区別する事が良いとは思いません。
しかし、純粋にインストゥルメンタルの演奏をしたいと言う人にとってはやはり「ボーカルなしセッション」と言う枠組みも必要ではないかと思いますし、逆にボーカリスト向けのセッションもあって当然だと思います。
◼︎近年起こっている問題点
◻︎参加のしやすさとジャムセッションの質
「上手い人と一緒に演奏すると上手くなる」とはよく言われることですが、一定のレベルを超えていないとただ単に周りの足を引っ張ることになります。
ジャムセッションの難しいところは、演奏レベルや音楽性で「場にそぐわない人」が来た場合、お互いに満足できなくなる可能性があるということが起こります。セッションホストはそのような場合、どうするかを考えなければなりません。
場にそぐわないような人が来たら演奏を断るようなシビアな店やホストもいる事があります。それは「ジャムセッションの質」を守るためです。
◻︎ホストの力量について
ジャムセッションの質を保つという意味では、ホストはきちんとした演奏ができる人がやるべきだと考えます。仕切りが上手にできるに越したことはないですが、演奏がままならないホストが仕切るセッションが最近非常に増えていることが気になります。
お客さんをたくさん呼べるのでアマチュアミュージシャンにセッションホストを任せているお店も存在します。中にはビジネスと割り切ってそのようにしているお店もあり、その場合は大抵「サークル活動」のような集まりになっていることが多いようです。
このようにアマチュアミュージシャンがホストをしている所も多いですが、本来のジャムセッションの目的を考えると、セッションホストはプロミュージシャンがやるべきではないでしょうか?
◻︎お金を払ってジャムセッションに参加する事
「お金を払ってジャムセッションに来てもらった以上は平等に接する」という事は至極真っ当な考え方です。
参加者の立場から野暮な表現をすると「同じチャージを払っているのでどのような人が来ても平等に」という意見も当然ありますし「チャージを払っている以上満足する演奏がしたい。ストレスのかかる人と演奏はしたくない」と思う人もいます。
これらはどちらも正しいし、どちらも完璧な判断ではないと思います。ジャムセッションの目的をどこに持つかで変わってくるのではないでしょうか?さらに後述する「ジャムセッションの主体をどこにするか」でも変わってきます。
◻︎ジャムセッションの目的
仲間内で気軽に楽しみ、演奏だけでなくワイワイと談笑するのも良いと思います。「セッションに参加するには少しハードルが高い」と感じる方は、知り合いの多い中で失敗しても良いので「楽しく演奏できる場」が必要ではないでしょうか?
当然、参加者の中にはもっと上を目指したい人もいます。そのような人はもっとシビアなセッションに参加していくようになると思いますし、上昇志向を持った人同士お互い研鑽し合うようなジャムセッションが必要です。
それぞれの立場で目的が違ってきており、そもそも「ジャムセッション」の意味が多様化してきているため、現在のような微妙な状況が出来上がってきたのではないでしょうか?
◻︎ジャムセッションのあり方
多くの事柄が多様化している現代では、ジャムセッションもレベルや目的に応じて変化し、それぞれの立場で各々の言い分があるため「ジャムセッションとはこうあるべき」と言い切るのは難しいと思います。
そんな中、最近SNSを見ていて気になるのは、各フィールドで「自分たちは正しい」と発信している事です。ジャムセッションに限らず、様々な事柄でこのような事が起こっていると思います。
冒頭でも述べたように「ジャムセッションはもっとシビアであるべき」や「今までのシビアなやり方が悪い」と言うようなお互いを敵対視するような意見の発信がセッションのあり方をモヤモヤしたものにしているのではないでしょうか?
初心者が気兼ねなく演奏できる場があることは大切ですし、シビアな中で切磋琢磨する環境も必要です。それぞれのフィールドで目的が違えばそれぞれのやり方があって然るべきです。
◼︎ジャムセッションの本質
この項ではジャムセッションの成り立ちを紹介し、本質から見た考察をしてみたいと思います。
◻︎そもそもジャムセッションとは?
ジャムセッションはどのようにして生まれたのでしょうか?
現在の「ジャムセッション」の成り立ちは1930年代後半、ビッグバンドが全盛を迎えた時代まで遡ります。
ハーレムにあったミントンズ・プレイハウスで集客のため、ハウスバンドの演奏時に自由に参加できるようにしたと言うことがきっかけと言われています。
ジャズ最初の黄金期であり、ポップミュージック = ジャズという時代でした。諸説はありますが、ビッグバンドの演奏はアンサンブルが基本でアドリブは部分的にとどまることが多く、さらにアドリブを演奏できるのは古株の先輩ミュージシャンなどテクニックを認められた人ばかりでした。
なかなか仕事でソロが回ってこない若輩ミュージシャンたちはビックバンドの演奏が終わった後に近場のクラブに顔を出し、仲間同士で当時演奏されていたスタンダードなどをどうすればカッコよく、複雑な演奏ができるか?というように色々なテクニックの追求や理論を研究する事=ジャムセッションで、ここからビ・バップと言うスタイルが生まれました。
◻︎ミュージシャンの向上心によるジャズの改革
1940年代後半からジャズは多くのミュージシャン達がジャムセッションでテクニックを磨き、演奏スタイルの研鑽を行っていった時代でジャズの大きな転換期でもありました。
ジャズをやるならビ・バップを聴け!と言うジャズバーに時々現れるビ・バップおじさんが言うことは実は正しいのです。
このことから、ジャムセッションの本質的な存在意義は「演奏テクニックの向上」であると思います。経験を積んだミュージシャン同士が互いにアイデアを出し合い新しい音楽を作っていくための集まりなので、本来は初心者がジャムセッションに気軽に加わることはできません。
◼︎ジャズの音楽性と集客について
では見方を変えてジャズそのものが聴衆に対してどのような立ち位置にあるのか考えてみたいと思います。
◻︎ジャズが日本で一般的になったのは?
「ジャズのライブはお客が入らない」と良く言われますが、日本ではジャズがポップだった時代もあり、そのきっかけは1961年のArt Blakey & The Jazz Messengersの来日と言われています。
(戦前からジャズは既に日本に入ってきており、戦時中こそ敵性音楽とされ規制されましたが、昭和28年にはジャズの大規模コンサートであるJazz at the Philharmonic - JATPが日本で開催されてGene Krupaが来日したりと、古くからジャズは一般的に聴かれていました。「メディアを巻き込んだポピュリズム」という観点ではアートブレイキーの来日が大きなものになると思います。)
2016年に日本で発掘されたアートブレイキー初来日の日比谷公会堂でのライブ音源がYouTubeにありました。
https://www.arban-mag.com/article/73361
本当かどうかは分かりませんが、蕎麦屋の出前のお兄ちゃんが岡持ち片手にMoanin’を口笛で吹いていたというエピソードが残っているほど誰でもジャズを聞いている時代が日本にもありました。
終戦後の連合国による占領が終わり、日本が高度成長期に入っていく中で穐吉敏子さんがボストンに渡り、バークリーを出て世界的な成功を収めた時期でもあります。
当時は今のように情報も限定的でインターネットもない時代。海外から入ってくるものに関して日本人にはとても新鮮に感じたのではないでしょうか?
1950年代後半から1960年代はジャズの歴史においてはハードバップがメインストリームで、日本にもこれらの音楽が入ってきていました。ハードバップは一言で言うと「ポップなジャズ」
前述しましたが、1940年代後半のビ・バップの誕生でジャズは音楽的な進化を遂げました。ビ・バップの本質はコード進行を細分化してコードトーンを追いかけ、どこまで速く演奏できるかと言う事。
Charlie Parker - “Confirmation”
(ビ・バップ全盛期)
コードを細分化して、コードトーンを追っていくスタイルのため音数が多い。
このようなスタイルで当時のジャズミュージシャンはジャムセッションに興じ、各自のテクニックを磨いていきました。
コルトレーンがビ・バップを極限まで突き詰めた結果、Giant Stepsのような難曲が生まれることになります。
John Coltrane - “Giant Steps”
コード進行の細分化を極限まで行い、どこまで速く演奏できるかを突き詰めた。同時にリズムの細分化も起こり、この動きは後のフリージャズに影響を与えることになる
テクニックの追求に走った結果、音楽的に複雑になり聴衆側は聴いていてもよく分からない玄人好みの音楽となり、大衆が聴くには難しいものとなりました。
このようなことから「簡単に口ずさめ、なおかつ黒人のフィーリングを全面に押し出したサウンド」を目指した結果ハードバップと言うスタイル生まれました。
Miles Davis - "Bag's Groove"
(ハードバップ黎明期)
ビ・バップの頃に比べると格段に音数が少ないのが特徴
Sonny Clark - "Cool Struttin'"
(ハードバップ全盛期)
さらにメロディがシンプルになり、キャッチーなフレーズが目立つ。
「これぞジャズ」と言う大衆が受け入れやすいサウンドではないでしょうか?
◻︎ポップな音楽とは?
音楽において一般聴衆に迎合すること=ポップな音楽ですが、ジャズはこれに当てはめることができるでしょうか?いわゆるポピュリズムとジャズの問題であって、この投稿の副題でもあります。
「みんな演奏できる曲を楽しんで演奏する」
実を言うと僕はジャムセッションの本質はこれではないかと思ったりもします。もちろん「一定の演奏技術を伴っている」事が前提ではありますが、ジャムセッションが生まれた頃は今のような多様化の時代ではありません。
ビバップの時代、ビッグバンドの仕事を終えたミュージシャンたちが、ハーレムのお店に夜な夜な集まり互いの共通認識である曲=スタンダードを演奏した事がきっかけでジャムセッションが起こりました。
そう言うことを考えると本質的にはジャムセッションとはポップな音楽を楽しく演奏することではないかと感じることもあります。
◻︎ジャムセッションによる集客
集客問題にフォーカスした場合「誰でもお気軽に」を合言葉にジャムセッションを行った方が良く、難しく厳しくて怖いジャムセッションはこれに反する事になります。
「セッションとはもっとシビアであるべき」と言う意見は大切ではありますが、それはずっと言われ続けている集客問題などを考えるとあまりシビアにもできなくなります。
セッションを開催しても参加者がいないと成り立ちません。あまりシビアなセッションでは初心者には参加しづらく、中・上級者しかセッションに来なくなります。
中・上級者にとっては、初心者がいない事でストレスなくアグレッシブな演奏ができます。一見良い方向に見えますが、絶対数が少なくなるため、セッションを開催するお店も採算が合わなくなる問題が出てきます。
集客問題はセッションホストのギャラにも関わってきますし、お店が継続的にやっていけるかと言う事にも繋がります。
アマチュアや初心者が集まるセッションはみんなで和気藹々と演奏する雰囲気であることが多いため、たくさん人が集まる傾向があります。
集客ベースで考えると圧倒的に初心者歓迎のセッションが成功しているのではないでしょうか?パイが大きいため当然と言えば当然です。
では、初心者ばかりが集まる場所で生まれる音楽がポップと言えるでしょうか?楽しく和気藹々とやるジャムセッションにおいては、ジャズという音楽性を考えた時に発展するものが少ないように思います。
厳しい意見ではありますが、事実、緩いジャムセッションは単なる「お楽しみ演奏会」になっていることが多く、後述する「ジャズの音楽進化」という意味で行われるようなものではないと思います。
◻︎アフターセッション問題
ジャズのライブにはお客が入らないと言われ続けており、この問題をなんとか解決するため例えば「ライブ後にセッションがあります」と言う表現、いわゆる「アフターセッション」を昨今よく聞くようになりましたが、僕はこれには賛同できません。
「ライブを観に行く」と言うよりも「セッションに参加する」と言う目的のお客さんが増えるためです。集客のためのセッションでは本来のライブの意味が薄れてしまいます。
「ライブには参加できないのですが、セッションには参加できる」と言う「ちゃっかりした人」も現れるようです。これは気軽に演奏できるようにセッションのハードルを下げた結果このような文化が生まれたのではないでしょうか?
少なくとも、プロのライブにおいては僕の周りでは「アフターセッションあり」と言うのは行われていないように思います。
プロの方でアフターセッションを開催していることもありますが、これはそのプロの方との演奏が目的でアマチュアが集まると言うのであれば構わないと思います。
しかし、昨今の「集客事情によってアフターセッションを開催する」という事を行うとライブの本質が見えなくなるのではないでしょうか?
「背に腹はかえられない」と言う意見が飛んできそうですが、そこはプロとしてのプライドの問題でもあります(笑)
集客目的のアフターセッション文化が「緩いお楽しみ演奏会」のようなセッションを生み出しているのも事実です。
このようなアフターセッションはアマチュアミュージシャンであれば全く問題ないと思います。むしろたくさんあった方が良いと思います。
プロのライブとアマチュアのライブの違いはこう言うところで区別するのも良いのかも知れません。(プロとアマチュアのライブに優劣をつける意図は全くありません)※プロアマ論はここではしないこととします。
こう言ったプロアマと言った趣旨の話題は過剰に反応する方も多いのですが、アフターセッションについて悪いと言っているのではなく、本当に開催する意味があるのならすれば良いと思います。
例えば有名アーティストが来てアフターセッションをすると言うこともあり、これはいわゆるお店側がイベント的に行うものですが、こう言ったセッションは有意義なものになります。
◼︎セッションの主体はどこにあるのか?
ダイバーシティが叫ばれる世の中で「ジャムセッションはこうあるべき」と言うのは無理があると思います。先ほども述べた通り「様々な目的や形」があって然るべきですが、これは主体がどこにあるのか?と言うことで変わってきます。
◻︎お店主体のジャムセッション
お店が主体になると店主の意向が強く反映されます。ジャムセッションを行うお店のカラーや何を売りにしているのか?こだわりの強い店主がいるお店では例えば初心者に対しては厳しい態度を取ったりするところもあります。
しかしこれは素人を排除するものではなく、お店や音楽の質を守るためです。ミュージシャンとしての向上心を持ってそこに継続していけるメンタルを持っていれば良いわけです。それが無理であればそうでない場所を探すことになります。
◻︎ホスト主体のジャムセッション
ホストが主体になると、そのミュージシャン目当てでジャムセッションに参加するということになります。当然ホストは参加者の希望を叶えるために様々な工夫をしなければなりません。
また、ホストの意向を反映して行うセッションもあります。譜面を見ることを禁止したり、普段やることのないスタイルで演奏したりなど、実験的な側面でのジャムセッション=本質的なジャムセッションが行われます。
◻︎プロが仕切ること
ジャムセッションは継続して開催することである程度固定で集まるメンバーが形成され、セッションの雰囲気ができ上がってきます。
セッションに参加する側は、お気に入りのお店やセッションホストを見つけて自分に合ったフィールドを選べば良いと思うし、良いセッションにするためにホストとお店側は工夫を重ねなくてはいけません。
僕はセッションホストは「プロとして活動していて様々なことに対応できるひと」が望ましいと考えます。
中級者以上のセッションはもちろんですが、初心者セッションにおいても特にピアニストもしくはギタリストが相応の演奏ができるレベルの人でないと「ジャムセッション」の体をなさないと思います。
これは「ジャムセッションとはこうあるべき」ということではなくて、「ジャムセッション」と銘打っているからです。本来ジャムセッションは向上心のあるミュージシャンが行うものであって、お楽しみ演奏会ではないことは前に述べました。
◻︎初心者セッションの立ち位置
初心者向けのセッション=お楽しみ演奏会ではありません。ただし、本来のジャムセッションかと言うとそれも違うと思います。
アマチュアミュージシャンが仕切り、みんなで和やかにやるのであれば「お楽しみ演奏会」とした方が良い結果になると思いますし、僕はそのように捉えています。(ここに悪意は全くありません。ジャムセッションとの区別をした方が良いと言う意味です)
プロが初心者セッションを仕切る場合はどちらかと言うとワークショップ的な立ち位置ではないでしょうか?初心者の方で、セッションに参加しても「結局自分の課題が見えてこなかった」と言う人を多く見かけます。
そのような人たちに応えるべく僕は今、月一回ペースで「ジャムセッションワークショップ」と言うものをやっています。
初心者の方は、「みんなと演奏がしたい」「難しいことは考えず演奏したい」といった目的を持った方が多いですが、「演奏が上手になりたい」「音楽的な知識を広げたい」と言う方も多くいらっしゃいます。
◻︎ジャムセッションの定義をするとすれば
何事もそうだと思うのですが、ハードルを下げると人が多くなる分、様々なニーズが出てきます。それに全て応えようとすると本質がわからなくなり、結果的に「なんでもあり」の状況が生まれるようになります。
カオスとも言える現在のジャムセッションの状況をあえて定義するのであれば「向上心を持った人同士が演奏を通して音楽的に進化していく集まりで、主体はお店とホストミュージシャン」なのかなと思います。
参加者が主体ではないのか?と言う意見があると思いますが、あくまで主体はお店とホストです。この二者がきちんとしたカラーを持ってジャムセッション行って、そこに人が集まると言う図式になるのではないでしょうか?
そこに集まる人「参加者」が場の雰囲気(音楽性)を作り上げていき、一つのジャムセッションになると僕は考えています。
まとめ
近年ジャムセッションへ参加するハードルがずいぶんと下がり、みんなで楽しく演奏する場が増えたと言うことは「ジャズを演奏したい人」が増えたという事です。
「ジャズを聴く人が減った」と言われ続けていますが、「ジャズに興味がない人が増えた」のではないと思います。ジャズを題材にした映画やアニメなども出ていますし、それをきっかけにジャズを始める方も多いように思います。
多くの人がジャズに関心を持つようになり、ポピュラーになってくると言う事はジャズミュージシャンにとっては希望ではないでしょうか?
ただし、プロとアマチュアの境界線が曖昧なこの業界がライブやジャムセッションなどが原因でさらに曖昧になっていることに僕はある種の危機を感じています。
「そんな難しいこと考えずに、楽しくやったら良いのではないか?」
と考える方もいるでしょう。
それを20年以上続けた結果、今のような状況が生まれたのではないでしょうか?
この問題は地域性もあると思います。都市部などでは若手でプロを目指す人などが集まるシビアなジャムセッションが存在しますが、地方ではそのようなジャムセッションは少ないように思います。
何度も述べていますが「シビアなジャムセッションが正しい」と言いたいのではなく、それぞれの目的に合ったものが必要だということです。
そしてレベルは関係なく「ジャムセッション」と銘打った集まりはジャムセッションの本質的なことを追求すべきだと言うことを僕は伝えたいと思います。
ジャズの歴史を見てもわかるように、常に音楽は聴衆と演奏者の関係で変化しながら「進化」しています。その中で淘汰されていった動きもたくさんあると思います。
ジャムセッションを通じて”音楽”を停滞させるのではなく変化させていくように意識してみてはいかがでしょうか?