翻訳したものをパズルする/来た球を返すだけ – マネージャーとしての考え方
以前にも少しだけ書いたことがあるが、マネージャーは翻訳者であるべきだと思っている。
関わるクリエイターがまだ言語化出来ていないこと、頭の中にあるけれど整理されていないことを関わり合いながら翻訳し、整理していく。
この点は編集者や映画のプロデューサーがマネージャーにとても近いと思っている。
僕がジブリの鈴木さんを尊敬しているのも、鈴木さんの考え方や方法論がマネージャーとしての考え方の宝庫だからだ。
翻訳者であるべきだと思っているため、意見を求められれば勿論答えるけれど、発端は極力自分の考えを反映し過ぎない様にと僕は意識している。
場合によっては自分の意見を強く通すことも勿論あるけれど、クリエイターから出てくる考えやアイデアを大切に待つことを最重要視している。
また自分の意見を先に言いすぎると、クリエイター自身が自分で考える癖を失う。
それは長い目で見た時にクリエイターのキャリア、そしてマネージメントとしてマイナスに影響することなので極力クリエイター自身から考えが出てくること、整理される状態を意識をしている。
そしてクリエイター自身が整理され、考えやアイデアが膨らんできたら、彼ら彼女らはどんどん新しい提案と刺激をぶつけてきてくれる。
僕はそれを受け取って、その子たちの現時点でのタイミングにおいて、どこにどう配置出来るかをパズルを組み立てるかの様に捉え、置いていく。
配置していく中、もし仮にパズルのピースが足りなかったり、もうワンピースあると完璧!みたいな絵が浮かぶ時は、そこを埋めるピースを生み出してもらえる様に促す。
そして、生まれてきたピースをまたパズルの様に配置する。
生まれてきた可能性という素材を、適した場所に置いていく。
僕自身は何かを生み出しているという感覚はほとんどない。
翻訳して生まれてきたパズルをあるべき場所に配置しているだけだ。
関わる相手によって、生まれてくるパズルは違う。
生まれてくるパズルが個性となり、個性の繋がりがクリエイターのキャリアとなる。
僕は、ただそこに介在しているだけである。
これと同じ様な考え方の感覚として
「来た球を返す」
という発想もマネージメントの上で大切にしている。
クリエイターとチームとして動いていると、相談や提案を信頼して投げかけてきてくれる。
当ててくれた考えを無視する訳にはいかないので、どんな球が飛んでこようが、必ず自分なりに受け取って、必ず投げ返す。
以前に書いた流れを止めないという考え方もここに繋がってくる。
尊敬するジブリの鈴木さんの好きな言葉、
「どうにもならんことはどうにもならん。どうにかなることはどうにかなる。」
言葉は違えど来た球を返すしかないと思ってやっていたことは、意味としては同じ発想だと理解している。
この鈴木さんの好きな言葉を見て、クリエイターとの関わりの考え方が間違っていないと言ってもらえてる気がして、勝手に解釈してるだけかもしれないが自分のマネージメント論に少しだけ自信を持てた。
https://twitter.com/Ryota_Shishido ラストラム→TOKYO FANTASY→RED 主に音楽関係のマネージャー 新しい才能との出会いを求めています。 音源やプロフィールはツイッターのDMかinfo@red.jp.netまでお気軽にお送りください!