誰かのせいより、みんなのおかげ。 - マネージメントの考え方
様々なプロジェクトが動いていると、トラブルや問題が発生することは日常茶飯事だ。
問題が起きた時、その原因を追求し、責任を問い詰める。
一見普通のことかもしれないけれど、僕はこれはあまりメリットのないことだと思っている。
うまくいかない時に、理由を誰かに置くことは簡単だ。
簡単だけれど、誰かのせいにしても根本は何も解決しない。
何がどうあれ、プロジェクトは前に進んでいくしかない。
責任を糾弾していても、話は進まない。
勿論内容如何はあるが、問題やトラブルを起こしてしまった本人が自覚し、そこからリカバリーする意識と緊張感を持っていてくれるなら、糾弾するより一緒に対策を悩んだ方が前向きだ。
チームが大きくなればなるほど、全てが120%、ノンストレスで完璧に遂行されることは容易ではなくなる。
大なり小なりいろんな状況を乗り越えながら、動いていくしかない。
人生は前にしかないし、一度止まったら次に動き出す労力は重たい。
「今」という現状があることは、いろんな方が支えてくれて成り立っている。
プロジェクトに力を貸してくれて、チームの一員となって、一緒に企んでくれる仲間。
支えてくれる方々の「おかげ」で、「今」が成立している。
おかげさまで成り立っているという有難い前提の上、もし問題やトラブルが起きたのならば、一緒に前向きに解決していくしかない。
その問題は誰か一人の問題ではなく、チームの課題だ。
順風満帆でうまくいっていると余計にマイナス点が目立つし、おかげさまの精神を忘れそうになる瞬間があるかもしれないけれど、そういう時こそ誰かの「せい」にするのではなく、みんなの「おかげ」の精神でチーム一丸となって乗り越えていけたら、より強固な信頼関係とコミュニケーションを持ったプロジェクトチームに成長する。
問題も、どう捉えるかで景色が変わる。
起きている事象が同じであるならば、物事をどう見るか。
同じ出来事でも、見方によって意味が180度変わる。
誰かのせいではなく、みんなのおかげ。
うまくいかない理由を他人に置いておくと、それは将来きっと自分に返ってくるものだと、僕は自分の戒めとしている。
最後に、ちなみにこの話はただ単に問題に寛容であれという意味ではない。
例えば、僕の経験でお話すると、以前ある代理店の方にNGだと再三伝えていたことをクライアント都合という理由で強引に進められ、話が違うと対応させたことがある。
この時、代理店の方が菓子折を持って謝罪に来たのだが、「対応してください。」の一言だけ伝え、帰ってもらった。
こちらとしては菓子折を受け取る理由もなく、また謝罪されて許せるものでもないし、謝罪されてもその時間にそもそも生産性がない。
ごめんで済んだら、警察はいらない。
と、子供の時に冗談みたく使っていた言葉だけど、本当にそうだなぁと思う。
明らかにおかしい時は、とことん突き詰める。
惰性で動かず、各々が責任を持って、全力で、前向きに関わり合うことが、きっとより良いプロジェクトや結果を生み出していく、と僕は信じている。
https://twitter.com/Ryota_Shishido ラストラム→TOKYO FANTASY→RED 主に音楽関係のマネージャー 新しい才能との出会いを求めています。 音源やプロフィールはツイッターのDMかinfo@red.jp.netまでお気軽にお送りください!