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さみしさを溶かす

ここ最近、Xで実験(と言うとかっこいいけれど)のような遊びをしています。

わたしが投げかけたテーマをみなさんにことばにしてもらう「言語化れんしゅう」や、「おためし」や「ゆるぼ」と題してコメントや写真を募集して、カジュアルなコミュニケーションが生まれるきっかけをつくっています。


集まる回答もユニークで自分の発想にはない考え方や視点に触れられることが楽しく、また、わたしはダイアログ・デザイナー(対話をデザインする人)なので、コメントを読みながらそれを一つひとつ返すことも対話の勉強になっています。話さなくとも、一つのコメントからでも対話はできるのです。

もちろん、お馴染みのみなさんとやりとりすることも楽しいですが、SNSの醍醐味は自分のことを知らない誰かからコメントが届いて、そこでやりとりが生まれること。特に、対話について考える上では、自分とは全く異なる考え方に触れることは大事な経験となります。この実験のような遊びは、コミュニケーションの研究でもあり、知らない誰かと出会うための環境づくりでもあります。

知らない誰かに届きはじめ、コメントもそれなりに増えてくると、様子のおかしいコメントもちらほらと見えてきます。攻撃的な態度だったり、とにかく否定的だったり、苛立ちが現れていたり。それらの文章を見ていると、共通点があることに気付きます。それは、さみしさに満ちていること。表面にあるトゲや見栄のようなものの奥に、とてつもなく悲しい、そんなさみしさを感じます。

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「エチュード」とは、音楽では練習曲、絵画では下絵という意味。「話すこと、聴くこと、書くこと、読むこと…

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「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。