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吉田塾日記#2【丸山敬太さん】

クリエイティブサロン吉田塾

山梨県富士吉田市、富士山のお膝元でひらかれるクリエイティブサロン吉田塾。毎回、さまざまな業界の第一線で活躍するクリエイターをゲストに迎え、“ここでしか聴けない話”を語ってもらう。れもんらいふ代表、アートディレクターの千原徹也さんが主宰する空間です。第二回のゲストはファッションデザイナーの丸山敬太さん。

部屋を満たしてゆく、敬太さんの涼やかなパッション。ことば一つひとつ、所作の美しさ、沈黙もまた芳醇で。それらもまた“ファッション”の一部であると、敬太さんのお話を聴きながら背筋が伸びる想いを味わったのでした。

合理化、効率化を求め、大量生産と消費を繰り返す画一的なモノづくりに疑問を抱いていた敬太さん。どこの街へ訪れても、駅前には同じような店が並ぶ。その消費社会の潮流の中で「ファッションとは何か」を思考し、自身の答えを提示し続けてきました。

その思索と模索の中で育んできたモノがある。ファッションは洋服だけを指すことばではない。そこに宿る本質的な価値。敬太さんのことばを聴きながら、世界の見え方が広がってゆく。

高田賢三さん(KENZO創業者)に憧れた。洋服ではあるが、本質的にはそこで生まれる“感動”に惹かれていた。ファッションには、人に感動を与える力がある。

九十年。学校を卒業し、フリーデザイナーとして仕事をはじめた敬太さんは多忙を極めていた。“バブル”という時代背景も要因の一つかもしれない。DREAMS COME TRUEのステージ衣装を手掛けたのもこの頃だ。周囲からは順風満帆に見えただろう。

「このままいくと、自分が本来座りたかった椅子ではない“全く別の椅子”に辿り着いてしまうかもしれない」

夢は自分のブランドを立ち上げ、パリコレクションでショーをすることだった。疑問を抱くたびに、衝動の原体験に立ち返った。自分が本当にしたいことは何なのか。

西麻布に借りた一軒家。その場所をアトリエにして、アイデアを描き溜めていた。そのアイデアをブックを見た人が、敬太さんにこう言った。

「敬太くん、すばらしいね。だけど、“アイデア”というものは、形にしないとどれだけいいものでも腐ってしまう。今、出し時だよ」

思索の中で止まっていた歯車が動き出す。その人は続けた。「私は観に行くし、両手に人を連れて行く。とにかくやりなさい」。背中を押されるように、九十四年、KEITA MARUYAMAを立ち上げ、デビューショーを形にした。

声に出すと、様々な仲間が集まった。それは、学生時代や夜遊びの中で出会った人たち。モデル、スタイリスト、ヘアメイク、演出家……「敬太くんがやるんだったら」と力を貸してくれた。

ブランドを立ち上げてから今日まで、順風満帆なわけではなく、紆余曲折を経てやってきた。それは、最初の経験が糧となっている。経験も知識もない中でつくったショー。二十八年間で最も大変であり、でも、楽しい体験でした。たくさんの人に助けられてデビューしました。

僕は「何かやりたい」と思っているにもかかわらず、一円も貯めていない人を信用していないんです。何か自分でやるのであれば、自分でリスクを持たないと。

ファッションショーをするとなると、1000万などはあっという間に消えてしまう。本気で形にしたいかどうかは「自分がどこまで覚悟があるのか」とも言い換えることができる。準備をすることも大切だし、責任を負うことも大切だ。想いの熱量だけではなく、それを実現するための実際的な行為に説得力が生まれます。

そこはかとなく人がいて、でも、自分は全く別のことをしている時。理想は、“授業中”です。

アイデアが生まれる環境について。友人とインドを訪れた敬太さん。インドの街を練り歩き、友人が店でサリーを選んでいる最中に、アイデアが降りてきた。しかし、それはインドとは全く関係ないロココ調のデザイン。いつどのタイミングでアイデアの引き出しが開くのかはわからない。雑踏の中、優先すべき課題が目の前にある中で、別のことを考える。その時、ふとよぎるもの。

たとえば、10あれば、8くらいは自分で絞り出している感覚がある。だけど、残りの2くらいは「自分って天才かも」と思う瞬間があるんです。その2の快感のために、8を劣等感に苛まれながらも懸命に絞り出している。

貪欲にモノを見たり味わったりすることはクリエイターとしての“習性”だと敬太さんは言いました。ある意味、無自覚で没頭できるから今の仕事をしている、と。呼吸するように思考し、想像する。その中で、自分でも予想できなかった「2」のきらめきを導き出せることがあるという。

形になっているモノは氷山のほんの小さな一角。水面下には思索と模索がどこまでも広がっているのだろう。

継承と育成

コロナ禍になり、“不要不急”ということばが世の中にあふれた。特にエンターテインメントに関わる人たちは辛酸をなめた。震災にしてもそうだ。予測できない出来事が起こるたびに、見つめ直す。

僕がつくっている“ファッション”は、不要不急の極みですよね。今回のウィルスで、自分たちの価値を、あらためて考えるきっかけとなった。

不要なのか?
いや、そうではない。

そこで生まれる感動。人の生きる力、人生を豊かにする歓び。それらは、そういうものでしかつくることができない。

コロナウィルスによって高田賢三さんが亡くなり、その後、山本寛斎さんが亡くなった。僕は彼らがつくってきたモノを浴びて育ってきた。彼らがつくり上げてきたモノを、リアルに体感し、豊かに味わい、想い焦がれた。僕が浴びてきたモノを、次世代の人たちに伝えていかなければいけない。おこがましいけれど、でもそれは、現場で見てきた世代にしかできないのではないだろうか。

その時、使命感が芽生えた。

「ファッション=洋服」と考えている間は、本質的な衝動へ至ることはできない。確かに、洋服が軸になっているが、ライフスタイルや、その時の気分、その瞬間の空気をつくり出すモノ。「そういう意味では、千原さんがアートディレクターとしてやっていることもまたファッションに近いと思っている」と敬太さんは言った。

あらゆる要素を繋ぎ合わせて、“感動”を生み出す。それがファッションの役割なのだと、ぼくはそう受け取りました。

僕は、自分が豊かな恩恵を受けた世代だと思っています。それを次の世代に少しずつ返していきたい。若い人に助けていただきながら、KEITA MARUYAMAという一つのつくり上げてきたブランドをまた新しい形に変化させていけたら、と。

そして、敬太さんは最後にこのことばで締めてくれました。

とにかく“効率主義”の風潮が終わるといい。それは、ファッションやクリエイターたちの力がより必要になる時代だと思っています。そうなってほしいし、実際にそうなってきている兆しを感じています。

未来は明るい。



懇親会は、れもんらいふプロデュースの喫茶檸檬。お酒を飲んで料理を楽しみながら、ゲスト講師や千原さんとも一緒にお話できます。

懇親会の模様

ぜひ、会場まで足を運んでクリエイティブの楽しさを味わってみてください。



さて、次回の講義は八月二十七日。ゲスト講師はNumero編集長の田中杏子さんです。

チケットの購入はこちらからどうぞ。会場用とオンライン用、二種類から選べます(富士吉田のふるさと納税にも対応しているチケットもあります)。


そして、わたしも制作にかかわっている本塾の主宰、千原徹也さんの著書『これはデザインではない』もチェックよろしくお願いします。



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嶋津 / Dialogue designer
「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。