坂口恭平パステル画集『Pastel』
先日、神戸の岡本まで坂口恭平さんの個展を観に行き、帰りにパステル画の作品集を買った。
画集はいい。ぺらぺらとページをめくると、空に、雲に、緑に、土に、光が躍っていて、気持ちのいい風の中にいるような気分になる。恭平さんの生活の中にある風景。暮らしの息づかいが、絵として現れる。とても穏やかだ。
画集の後ろの方にあった『畑への道』というタイトルのエッセイを読んだ。これがとてもいい。それからもう一度、一枚一枚、恭平さんが描いた風景を見直した。
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風景の上できらめき、あるいは中へと融けていった光の姿へ目を凝らし、“坂口恭平”という感受性の装置が起動する。外界を観察し、内的に起こるクオリアに集中する。景色の表情の豊かさを知り、そこから得た内的な質感を味わい、それらを調和させるように絵としてキャンバスへ落とし込んでいく。それは、羽毛で肌を撫でた時のように、身体の奥の方から感覚が押し寄せてくる。その小さなにぎわいを一つひとつ愛でるように、“クオリア”という果実を収穫して、それをキャンバスに写し出す。目に映し出されたままの外界と内面の風景を。その反復が、鼓動としてリズムを刻み、呼吸を奏でる。
音楽のようだと思った。
絵を描くこと、風景を観察すること、同時に内面を感じることで、恭平さんの心が調っていった。パステル画を通して移ろってゆく心境、装置としての感受性もまた興味深い。絵を通して、流れを良くしているのかもしれない。血管の中を血液が流れるように、創作する者が持つ“管”の通りを良くする。
外界の観察と内面の知覚、そのループは眠った記憶を呼び覚ます。新しい発見のように見えるが、懐かしさとの邂逅であることに気付く。つまり、既にそこにあったものなのだ。
恭平さんはきっと、絵を描くことは心身を調える深呼吸のようなものであって、その副産物としてインスピレーションを得ているのかもしれない(呼吸であるから、そのループに集中することは自ずと瞑想となる)。彼は、風景を描きながら遠い記憶を辿り、時空を超えた対話をしている。
そう想いを巡らせながら、恭平さんの描いた風景たちを見ると、とても心が穏やかになるのだ。おそらく、表現のプロセスは作品を通して、鑑賞者へも伝わる。その循環とインスピレーションが、わたしたちを癒してくれる。
音楽のようだとあらためて感じた。