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ことばに囲まれた日々

朝さんぽから一日ははじまった。

幾つかの夜を徹夜して、原稿を書いた。よく冷える日が続く。毎日の日記が滞っていたが、絶えずことばは刻んでいた。春が待ち遠しい。

ダイアログ・ジャーニー』で料理人の鳥羽周作さんの動画を公開する。鳥羽さんにも、観てくれた人にも喜んでいただける内容となったように思う。編集後記のような形で、あらためてnoteにも文章を書いた。

以前から、対話(インタビュー)前と後で写真を撮って、そこでのやりとりを文章に残す作品をつくりたいと思っていた。対話を通して、話し手と聴き手の中で何が変化したか。お互いの思考はどこへ到達したか、感情はどれだけ共有できたか、こころの距離はどう移ろったか。互いの中ではじまりよりも1㎜でも変化していれば、それは対話の実りである。その過程こそが対話の旅。そう、ダイアログ・ジャーニー。写真が旅の証明となる。その一つ目の作品となった。

毎日、リプやDMでうれしいメッセージが届く。手紙を贈り合っているかのようで愛おしい。添えてくれることば一つひとつに滋味と滋養が詰まっている。メッセージを届けてくれる人は、不思議とわたしのことばや対話に感謝をしてくれる。特別にその人へ宛てたことばでもないが、ひとりでに内的変化を起こしてポジティブなものを手に入れてくださる。届いた感謝のことばに対して、再びわたしは感謝をする。感謝が巡り巡る。すばらしいSNSだと思う。

娘が孫を連れて遊びに来た。わたしの目を見て微笑む彼女は、わたしのこころを清らかに洗い流してくれる。椅子に座るわたしの膝に手をかけて「抱っこ」をせがむ。膝の上に乗せて、絵本の読み聞かせをする。書斎から取り出したのは荒井良二の『あさになったのでまどをあけますよ』。わたしのお気に入りの一冊。彼のとりどりの色彩が孫のこころを豊かにするよう祈りを込めて、声を乗せる。彼女は真剣な眼差しで絵を見つめ、ことばに耳を澄ませている。この聡明な表情は、きっと少女になっても、大人の女性になっても変わらない一面として残るだろう。いせひでこや覚和歌子の絵本を読み聞かせできる年齢を迎えるのが個人的な今後の楽しみ。

このnoteという場所には、共感を誘うでもなく、説教がましくもなく、はたまた自己対話というわけでもなく、いい文章を淡々と書く人がいる。それらの文章はサプリメントのように、わたしのこころに不足した栄養を届けてくれる。いい文章は、いい。いつの日か、その書き手に話を聴いてみたいが、それが叶うかはわたしのあずかり知るところではない。



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嶋津 / Dialogue designer
「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。