嫉妬する人間が“老害”と呼ばれる世界では、文学は生まれない
「セカンドパートナー」ということばを知った。
ずいぶんと先進的な価値観だと感じた(昔からそういう慣習はあるのだろうけど)。メインのパートナー以外に恋愛感情を伴った異性のパートナーが存在する状態。おそらく、異なる文化圏ではそのような関係性を築くことがあたりまえだったりするのだろう。ただ、自分自身に置き換えてみると強い違和感を覚える。
「セカンドパートナー」の存在を、メインのパートナー間で互いが理解して、許容されている状態でしょう。「一人の相手では精神的な調和が保てないから、じゃあ他で補うか」を認め合っている。そこに、ある種の“凄まじさ”を感じる。関係構築が合理的過ぎて、不合理な旧態のぼくにはその感覚がわからない。
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