闘病記④~自分なりの工夫とか別の薬へのチャレンジだとか~国指定難病CRMOはつらいよ
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病院も、お医者さんも頼れない現実
生検で悪性リンパ腫でも細菌感染でもないとわかり、実質的に未知の病との闘いとなった2021年7月からは、頼れるのは実質自分だけでした。
もちろん1か月に1度程度は東大病院での診察はありました。
ですが、血液検査で主にCRPという炎症の度合いを示す数値が悪化しているのを確認し、たまにレントゲンやMRIなどで病態が広がりを見せているのを確認する。でもだからといって効果的な打ち手はない。
そして対処療法の痛み止めを1か月分また処方してもらう。その繰り返しでした。
もちろん慢性再発性多発性骨髄炎(CRMO)以外に新たに別の病気になっている可能性を排除する、というスクリーニングの意味では大いに意味があった通院ですが、CRMOの治療ということに関してのみ言えば、病院やお医者さんを頼れる状態ではなかったのです。
徐々に敵を知り、己を知らんと欲す
そのような中で、病気との付き合い方を少しづつ学ぶこともありました。
早い段階で、アルコールが激痛のトリガーであると学ぶ。たった一切れの奈良漬けでもNG。
痛み止めの処方は朝夕1回ずつだが、夕方飲むと、深夜早朝に効き目が切れて激痛で目を覚ます。従って1日の2錠目は就寝直前に飲む。そのためには1錠目は就寝直前まで効果が持続するように、お昼ごろに飲む。
運動後は激痛を生じやすい。歩行時も杖を使うことで、その後の痛みを和らげることが出来る。
冷えは厳禁。患部である左腸骨(腰のあたり)から下半身にかけてを常に温めることが大事。
特に最後の、冷えを防ぐことの効果は絶大でした。
これに気づいたのは2022年11月頃とだいぶ遅くなってしまったのですが。
気づいたきっかけは、たまたまフィギュアスケートのグランプリシリーズをTVで見ていたことでした。そこで2連勝と勢いに乗っていた三原舞衣選手が、「若年性突発性関節炎」という指定難病を克服した経験をお持ちだと知ったのです。
もちろん僕の持つ難病であるCRMOとは違う病気なのですが、同じく骨関節の病変であることや、免疫異常が原因であると考えられることから、兄弟姉妹のような病気だと思いました。
そこで、どうしてそのような病気と付き合いながら、世界レベルでフィギュアスケートの演技が出来るのかと気になって調べてみたところ、とあるインタビューでの三原選手のコメントを見つけました。
そうか、カイロという手があったか!目から鱗の思いでドラッグストアへと向かい、さっそくその日はカイロをつけたまま就寝。
(低温やけどにはくれくれもご注意を。就寝中のカイロ使用はメーカー非推奨です)
すると、効果てきめんでした。なんと、夜間、痛みに起こされることなく、朝まで眠れるという奇跡が起きたのです。
というのも2022年11月頃には病気がかなり悪化しており、就寝直前にセレコキシブという痛み止めを飲んでも、必ず深夜早朝に効き目が切れて激痛に襲われる。そこで追加で頓服のカロナールを飲んで、痛みが消えて再び眠れるまで2時間ほどひたすら悶えながら耐える、というのが常態化していたのです。
ですからカイロで温めることによって朝まで問題なく眠れたというのは、本当に文字通り奇跡だったのです。
その後、日中はカイロを腰回りの下着の上から貼り、就寝中は無印良品で購入した温熱マットをシーツ下に敷いて眠る、というルーティンで劇的に痛みを軽減することに成功しました。
一縷の望みをかけて、新しい薬に挑戦×2
そんなこんなの自分なりの工夫に加えて、東大病院でも何か痛み止めを飲み続けるだけではない、別の手は無いかと先生も色々考えてくださいました。
まず、2022年7月からビスフォスフォネート製剤という、本来は骨粗しょう症の治療に使う薬を服用し始めました。海外症例で、CRMOに効果的という報告が複数上がっていたためです。
また、ビスフォスフォネート服用を開始するのに伴って、免疫疾患としての治療を強化する目的で、同じ東大病院内で、もともとの整形外科からアレルギーリウマチ内科に転科することになりました。主治医の先生も、変わりました。
痛み止めだけでは先の見えない闘いの中で、ビスフォスフォネートの効果に僕が大きな希望を抱いたのは当然でしたが、残念ながら、服用して数か月たっても、一向に効果が現れることはありませんでした。
それどころか、痛みやCRPのような血液検査の結果は悪化するばかり。
カイロによる温熱療法を始めたのとほぼ同じタイミング、2022年11月に、ついに僕と主治医の先生は大きな決断をすることになりました。
それは、抗TNF-α阻害薬という比較的新しく、強力な関節リウマチ薬への挑戦です。こちらもビスフォスフォネート製剤同様、CRMOへの有効性の報告があった薬になります。
結果的にはこの決断が、良くも悪くも、僕の闘病運命を大きく動かすことになるのです。
(続く)