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スマホが僕らの退屈耐性を爆下げした話
最近、一緒にいてもスマホ−−SNSとFTFを読んで、めっちゃ共感できたので、ちょっと書きます。
結論を先に言うと、スマホが僕らの退屈耐性を爆下げしたよなぁって話です。
オンラインでのコミュニケーションがもたらした、最大のメリットは"編集可能なコミュニケーションの実現"ですよね。
相手の顔が見えない分、自分のリクエストに対するレスポンスの真意は分からないです。いやむしろ、分からない方が幸せなのかもしれないし、コミュニケーションという行為自体に価値を感じているのかもしれない可能性もあります。
リアクションがなかったらワンクリックで修正するか、この世から消去すればいいだけで、あとぐされ無しでいこうとすることもできます。
究極、かつては一か八かだった、好きだったあの娘への告白も届かなければ何度でもやり直せます。
ただ、僕らはうるさいほど話します。それは昔もさほど変わりません。
つまりオンラインとオフラインのコミュニケーションを使い分けています。これってどうやって使い分けているんでしょうか。
イメージでいうと、誰かに相談をする時はオフラインの方がオンラインより効率的です。文脈の誤りをすぐに直せるので、コミュニケーションコストがこっちの方が低く済むケースが多そうです。
反対に、ちょっとした買い物のお願いや、テキスト以外の情報を交換するタイプのコミュニケーションはわざわざ直接会って話すほどでもないので、チャチャッとチャットで済ませてしまいます。
ただ、僕が今回提起したいのは、「いや、両方って実際交わっているよね?」っていうことです。
どういうことかというと、仲の良い友人と数人で話していても、全員が共通の話題で話している瞬間って限りなく少なくて、そのうちの誰かはオンラインでその中の誰でもない誰かと会話をしていたりします。
さらに最近はもっと進んで、オフラインの空間で話しながら、上手く伝わらないため、オンライン上で画像や動画を送り、確認するみたいなコミュニケーションも増えているので、コミュニケーションの分野でいうと、もはやオフラインとオンラインを分けるのって意味がないなぁと思ってきました。
で、これって根本的には僕らの価値観が変わってきているような気がしていて、スマホを手に入れてから、僕らって退屈耐性が爆下がりしたのでは、という仮説があります。
ちょっとした手持ち無沙汰な時間や、何もすることがない虚無な時間に耐えられないようになって、スマホと接続されている状態を望むまでのスピードがめちゃくちゃ高いんだなって。
もちろん、これあらゆる側面でプラスに働いて、可能性と選択肢を広げているので、僕もスマホ大好きです。
1つの事実というか変化として、そうなってきているので、特にtoC向けのサービスは「退屈というマスをいかに上手に埋めるか」っていう勝負になってきそうですね。