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【導入に積極的な立場から】日本版DBSと職業選択の自由について


この記事を作成している現在、いわゆる日本版DBSが導入されようとしています。

はじめに


今回は、導入に積極的な弁護士という立場で、職業選択の自由との関係について考えていることをまとめたいと思います。
なお、日本版DBSは自己情報コントロール権や営業の自由といった憲法上保護された利益やその他の人権ともかかわりますが、この記事ではそこには触れません。

また、本記事は、あくまで個人の立場で作成したものであり、私の関係する各団体の意見を代弁するものではないこと、ご了承ください。
加えて、憲法Ⅰを手元に置きつつ書いていますが、不正確な点や変更・修正すべき点がありましたら、ご指摘いただけたらありがたいです。
(ちなみに著者の1人である宍戸先生は、上記有識者会議の委員でもあります。)

それでは検討していきます。

職業選択の自由について

職業選択の自由は、憲法上、以下の通り規定されています。

憲法
第22条第1項
 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する

https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=321CONSTITUTION

職業選択の自由とは、職業の開始、継続、廃止が国家権力によって侵害されないことをいうとされています(参考:薬事法事件判決)。

職業には、自ら事業を営む場合だけではなく、私人に雇用される場合を含むと解されています。
このことから、日本版DBSが導入され、前科を理由にこどもに関する職業の一部につけなくなれば、職業選択の自由との衝突が生じます。

ここで、職業選択の自由の趣旨、なぜそもそも職業選択の自由というものが大事で国との関係で守られるべきなのかを確認します。

一般に、職業に就くことはお金のためだけではないとされています。どのような仕事をするかはどのように生きるかに深くかかわる問題だということです。

この点、薬事法事件判決(最大判昭和50年4月30日)では、以下のような説明がされています。

「職業は、人が自己の生計を維持するためにする継続的活動であるとともに、分業社会においては、これを通じて社会の存続と発展に寄与する社会的機能分担の活動たる性質を有し、各人が自己のもつ個性を全うすべき場として、個人の人格的価値とも不可分の関連を有する。」

薬事法事件判決(最大判昭和50年4月30日)

ここで重要だと考えるのは、
個人に職業選択の自由を保障することは社会秩序の形成・維持にとっても有用だからだ、ということです。
例えば、職業選択の自由があるからといって殺し屋や麻薬の密売人等になれないことが当該自由との関係で問題になることはないでしょう。

そもそも、憲法上も「公共の福祉に反しない限り」という留保がついていることからも、職業選択の自由は一定程度の制約を受けることを予定している、ということがいえます。

以上から、こどもに関わる仕事、例えば保育士になる自由は憲法上保障されているものの、当該自由が他の権利利益との関係で制限をある程度受けることは予定されているといえます。

制限が正当化されることについて

職業選択の自由に対する日本版DBSによる制限は正当化されるのかを検討していきたいと思います

違憲審査基準

人権の制限が正当化されるかについて、国家権力としての性格を持つ裁判所がフリーハンドで判断するのはよろしくないとの考えから、違憲審査基準という判断基準をある程度設定していこうという試みがあり、判例や学説等で積み上げられています

職業選択の自由との関係では、積極目的規制か消極目的規制か、という分類によって、判断基準を変えるのが適切なのではないか、という議論があります。
これはすごく大まかにいうと以下のようなものです。

 積極目的規制:社会経済政策のための規制
          根拠:弱者保護の観点から受ける外在的制約
          審査基準:明白性の基準(緩い)
 消極目的規制:市民の生命・安全・健康を守るための規制
          根拠:人権の内在的制約
          審査基準:中間審査基準
            (目的重要、手段と目的の実質的関連性)

具体的な規制が積極目的なのか消極目的なのか、一元的には明らかではないのではないかというケースも多いのでしょう。
ただ、日本版DBSは、性被害にあった場合のこどもに対する被害の大きさ、こどもの自衛の困難さ等から、かかる「弱者」的な立場にいるこどもを保護するための政策と整理できるので、積極目的規制であるといえます。

そうすると、明白性の基準、すなわち、法律が著しく不合理であることが明白でない限り合憲とされます。

目的が合理的であること

日本版DBS導入の目的は、こどもが性犯罪に巻き込まれることを防ぐことなので、合理的であることは明らかです。

手段が目的との関係で著しく不合理でないこと

人権を制約するわけですから、目的が合理的であっても手段が目的との関係で合理的である必要があります。
たとえば、よく引き合いに出される性犯罪の前科を持つ人にGPSをつけて、行動を24時間追えるようにする、というものについては、著しく不合理であり、違憲であると考える方も多いと思います。

ここで問題になるのが、こどもが被害者となる性犯罪について再犯率が高いのか、というテーマです。

こちらについては、データを集められていないのですが、例えば平成27年版犯罪白書には、以下のようなデータが載せられています。
こちらからすると、単独強姦型、強制わいせつ(その他)型と比べ、小児わいせつ型が、複数回にわたり同一の類型に当てはまる犯行に及ぶ者が多いことが調査の結果明らかになっています。 

https://hakusyo1.moj.go.jp/jp/62/nfm/n62_2_6_4_5_3.html


https://hakusyo1.moj.go.jp/jp/62/nfm/excel/6-4-5-10.xlsx

加えて、制限の種類にも着目したいと思います。
制限の種類は色々あるかと思いますが、以下のように「主観的制限」と「客観的制限」の2つに分類する考え方があります。

  主観的制限:
   職業を行う条件として、一定の個人的な資質や能力を要求するもの
   (資格制など等)
  客観的制限:
   当該職業を希望する者が、自らの意思と能力によって左右することの
   できない基準を職業の開始等の条件とするもの

当然、客観的制限よりも主観的制限のほうが許容されやすいと考えられます。
日本版DBSに関していえば、職業を行う条件として、性犯罪についての前科がないことを要求するという主観的制限が問題となります。

以上の点からして、手段が目的との関係で明らかに不合理とはいえないでしょうから、日本版DBSは職業選択の自由を制限するものであるものの、かかる制限は正当化され、合憲なのではないかと考えています。

補足

日本版DBSはこの記事作成時現在、どのように制度設計をするかが議論中です。
私の理解によれば、日本版DBSについては、
 A 利用を義務化される団体
 B 利用が可能な団体
 C 利用ができない団体
に分かれる見込みで、
Aは学校や園の職員に限定され、
Bは塾や習い事等の営利企業に限定されるのではないか、
ということが言われています。

利用が義務化される団体が増えることは、職業選択の自由を強く制限するものであり、それが拡大していくことで違憲のおそれは一定程度高まっていくのだと思います。
ただ、任意で利用できる場合は、同業他社で日本版DBSを利用しない企業には雇い入れられる可能性があるわけなので、任意で利用できる対象が拡大しても、違憲のおそれはそこまで高まらないのではないか、と考えています。

こどもに対する性加害が発生しやすい状況が発生する団体については、日本版DBSを任意で利用できるよう、営利企業に留まらず、その対象を増やしていくことで、こどもに安全安心を届けられるよう制度化していくことが適切なのではないかと考えています。

以上です。

長く、分かりにくい文章をここまで読んでくださり、ありがとうございました。
日本版DBSはまだ導入さえされておらず、どのようなものになるかはっきりしていない制度です。
そのような先行き不透明な中で一弁護士がこのようなまとめを出すことに躊躇もありますが、日本版DBSの導入を応援するため、記事を作成させていただきました。
感想や意見等ありましたら、お寄せいただけると嬉しいです。


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