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#24 スピッツは「変わらないバンド」ではない。

24/10/11:1100views達成!皆様ありがとうございます!
好評につき一部リニューアルしました。
当noteで4番目に読まれている記事です。


以前「椎名林檎さんのことが好きだと思ってたけど、(一点においてすごい好きなポイント以外は)あんま好きじゃなかった」という記事を書いたが、スピッツのことは結構好きだと思う。

ただ、なんとなくここ5年くらいの新譜が、ピンと来ていない。「まあ言われてみれば良いと思うけど、そんなに褒めるほどか…?」と毎回思ってしまう。最近「美しい鰭」というシングルが出て(その後アルバムも出て)、コナンの主題歌にもなったため結構話題になった。


「美しい鰭」のTikTok動画等で、こういったコメントを目にする。
(最近のnoteネタは専らTikTokのコメント欄だ。コメントに対するある種のハードルが低いのか、めちゃめちゃ参考になる)


「スピッツってずっと変わらないよな」


「スピッツはスピッツのままだ。すごい」


なるほど、年齢に対してキープされ続けるその爽やかな見た目イメージも相まって、「変わらない」スピッツに皆感動しているようである。

だが、本当にスピッツは「変わってない」んだろうか?全アルバムを所々聴き直しつつ、かなり定性的ではあるが考察してみたので、ちょっとだけ聞いて頂きたい。

最初期(ビートロックからシューゲイザー)

デビューからの初期3作。これが僕の思うスピッツの一番素晴らしい時期だ。異論は認められない。


「名前をつけてやる」
が人生ベスト級に大好きなアルバムなことは他の記事でも言った*のだが、「惑星のかけら」も本当に素晴らしい。特に冒頭4曲のシューゲイザー的なラウドネスが凄すぎて、歌っているマサムネの声が完全に遊離している感覚になる。こんなバンド、世界中見渡してもなかなかいないと思う。

*過去記事はこちら。



そう、スピッツにおいて最も魅力的な状態はこれだと僕は思う。自分で作った曲にもかかわらず、演奏に置いていかれるマサムネの浮遊した声。

面白いnote記事があったので貼っておきます。


大ヒット期(オルタナティブからパワーポップ)

スピッツがヒット曲を獲得していく過程もまた面白い。アルバム「Crispy!」から「ハチミツ」まで、ここでスピッツのイメージはかなり形作られる。個人的には「Crispy!」の「裸のままで」が好き。


その後の「空も飛べるはず」「青い車」「スパイダー」「ロビンソン」は、最初期で浮遊していたマサムネの声に出来る限り寄り添うようにして、ほの暗い世界を作ったポップソングの傑作だろう。ただし、スピッツの魅力全開とまではいっていないと思うのが、この時期だ。


そうこうしている間に、またも大傑作アルバムが来てしまう。「インディゴ地平線」である。


これは一種のコンセプトアルバムと言っても良いんじゃないか。
タイトな演奏とポップなメロディ。本当に「エバーグリーン」な作品。
「ほうき星」のように、「惑星のかけら」のアプローチに少し回帰しつつチャレンジングな曲があるのも、とても良い。


キラキラしているのに安定感がものすごいアルバム「インディゴ地平線」の後、プロデューサーの変更等もありこれまでのスタイルをガラッと変えてしまうスピッツの恐ろしさである。またしばらくして、傑作「ハヤブサ」が登場する。


疾走期(オルタナ全開)


安定感と盤石のリズムを獲得していたバンドは、オルタナティブロックの手法に再び寄っていき解放感を得る。
安定感を手放した時、スピッツは再度輝き出すのだ「渚」ですら、「ホタル」のためのステップに過ぎかったとすら思える。



僕がリアルタイムにスピッツと出会ったのはこの辺り(小学生?)で、当時一番好きだった曲は「遥か」。この曲、なんだか最初期の「浮遊感」が戻ってきていて、個人的には「空も飛べるはず」や「ロビンソン」よりも普遍的な魅力をもつ名曲だと思う。


ズッシリ期(ヘヴィロック)

さて、問題はこの後。この後のスピッツは、これまでのキャリアと「決定的に違う」サウンドに舵を切っているが、あまり言及されない。「スーベニア」以降の全作は、これまでにスピッツの持ち味であった「疾走感」「ラウド感」「浮遊感」等、矛盾しつつも両立されていた感覚を捨て去り、演奏にもボーカルにも相応の「重み」を増してくる


そして自分がピンと来ないスピッツが、まさにこの時期である。

「ズッシリ期」の名曲だと思うのは、「小さな生き物」収録の「オパビニア」・「潮騒ちゃん」。是非「インディゴ地平線」のようなアプローチでも聴いてみたい良作。


現在(「ひみつスタジオ」の衝撃)

「美しい鰭」を初めて聴いた時に、「ああまたズッシリした感じだね...」と、最初期と疾走期しか受け付けなくなっていた僕の体はやや拒否反応を示していた。


ただ「美しい鰭」を何度も聴いているうちに、ちょっとピンと来てしまった所がある。この曲のベースとドラムは、ズッシリしているだけでなく、「ファンクネス」を獲得している。まるで、レッチリが作ったスピッツなんじゃないか?という不思議な曲である。この演奏の充実振りで、再びスピッツは「浮遊感」を取り戻しつつある。


「美しい鰭」は「チェリー」によく似たイントロ、リズムだが、個人的には「チェリー」は「インディゴ地平線」収録曲では唯一演奏に緩みがある感じがして、あまり好みではない。「美しい鰭」は「チェリー」のアップデート版なんじゃないか?


そしてその後発表されたフルアルバム「ひみつスタジオ」があまりにも良いのだ。マサムネの曲が、"ズッシリ期"にはなかったポップさを取り戻し、「完全に走り出している」のだ。結果としてマサムネの歌は、また少しだけ演奏から浮くことが出来ている。「インディゴ地平線」や「三日月ロック」といった、スピッツの転換点にあったアルバムに非常に近しいことがよくわかる。


「変わらないバンド」ではない

このように、少なくともスピッツはずっと一緒だった訳ではない。今まさに、「大ヒット期」「疾走期」のスピッツのフレーバーが戻りつつあるのである。そこには、「ズッシリ期」で培った演奏の重みがとても活きている。そして、「ずっと変わらない」と思わせたスピッツは今まさに転換期なのかもしれない。

図にしてみた

スピッツの変化はいつだって起きうる。本当に微妙なバランスで成り立つのがスピッツであり、スピッツはいつだって繊細だ。そこをもってスピッツはずっと変わらないバンドだと思う。

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