自分の「できない」を知ること
その昔、自分にできないことはなにもないんじゃないかと思っていた。
でもそれは間違いで、歳を重ねるたびに、自分の「できない」が増えていくことを知る始末。なんでもできると思っていたあの頃は、とても無邪気で、世間知らずで、物分かりの悪すぎる少年だったんであろう。
今では「できない」を知ることが普通になり、諦める回数もどんどん増えている。物事を諦めるその度に、自分に自信が失われ、かつての輝きも少しずつ失われていく。
サッカーに夢中だったあの頃、自分がサッカー選手になると信じてやまなかった。でも年齢を重ねるたびに、自分よりもはるかに上手い選手たちに出会い、自分の夢が単なる夢物語だと気づいた。
夢は諦めなければ叶うかもしれないけど、どう足掻いても叶わない夢だってある。諦めた数だけ、夢が散り、諦めなかった数だけ夢が叶う。
でも、人生には時間の限りがあるってのも事実。残された時間を考えれば、諦めた方が良いものだってある。ずっと諦めずにひとつの物事に取り組む姿勢は、とても素敵だなって思うけど、諦めた方がもっと素敵なものに出会える可能性だってあるんだよね。
僕自身、自分のやりたいことを諦めたから、文章に出会えた。やりたいことをずっと諦めなかったら、きっと文章には出会えなかったのかもしれない。だから、やりたいことを諦めたことに一切の悔いはないし、諦めて良かった。
「できる」に出会うたびに、嬉しさに見舞われる。できれば「できる」が多い人生が喜ばしいけど、実際問題そう上手くはいかないってのが本音。
人生とは「できる」と「できない」を増やしていく旅みたいなものなんだろう。「できない」を知るたびに、諦める回数が増えるかもしれないけど、「できる」に出会う確率が上がるのも事実だ。
だから「できない」に出会うことは、ネガティブなことではなく、新たな可能性と出会えるってことなんだ。
とはいえそうと分かっていても、「できない」に出会うとへこんでしまうのが人生ってやつ。
だから「できない」に出会ったらしっかりへこむ。その代わり前を向くことを忘れない。ずっとくよくよしていても時間は過ぎてしまうから、別の「できる」に出会うチャンスをもらったと前を向く。
「できない」に出会うたびにへこみ、「できる」に出会うたびに喜ぶ。それで良いし、そのほうがきっと良い。
へこまない人生なんて、まるでつまらない。そして、喜びのない人生なんて、この世に生まれてきた甲斐がまるでない。
残された時間は少しずつ減っていってしまうから、できるだけ「できる」に出会えるあの喜びをたくさん知る人生にしていきたいね。