「正しさ」って何だろう?
「正しさ」って何だろう?
正しさについて考えていると、よく分からなくなってしまう。
何が正しくて、何が正しくないのかなんてはっきり言って分からない。でも自分にとっての正しさがちゃんと自分の中にあるということは間違いないと思う。
自分の正しさを、主張すること。
自分の正しさが、相手にとっての正しさであるとは限らない。自分にとっての正しさと相手にとっての正しさが、イコールにならないなんてよくある話。
自分も正しいし、相手も正しい。正しさの数は人が存在する数だけきっと存在する。
自分の中の正しさは自分にとっての正義かもしれないけど、自分の中の正しさを相手に強要することはもう暴力。そんなものはただの横暴としか呼べないし、正義の押し付けにしかならない。
でも、自分の中に正しさを持つことは重要。それが生きていく上での重要な指針になるだろうし、自分の正しさが物事を選択する判断材料になることは間違いないのだから。
自分の中に正しさを持っていなければ、相手の意見に流されてしまうことだってある。そうなってしまうと、「何のための人生何だろう?」って疑心暗鬼になる可能性もあるよね。
正しさを持つことは、重要だ。でも、それが相手にとっての正しさではないということを理解することはもっと重要だ。
自分の正しさを持ちつつ、相手の正しさを受け入れること。それぞれに正義の哲学があるのだから、そいつを受け入れる器を育てていく必要があるよね。
「正しさ」って何だろう?
正しさという美学。何が正しくて、何が不正解かはきっとその人の中にしか答えがない。自分の正しさは誰が決めるでもなく、自分で勝手に決めてしまえばいい。
正解も不正解も、自分自身で決めてしまおう。そして、自分の中で「納得解」をたくさん持っておくこと。その上で、前に進めたら万々歳だ。
誰かの正しさに支配されるのではなく、自分の正しさとうまく付き合っていければそれでいい。きっと、その方がいい。