自分の機嫌を自分で取れる人はもれなく全員すごい
今日はいいことがたくさんありますように。
これは毎朝呪文のように、唱えている言葉である。とびっきり大きな幸せではなく、小さな幸せでいい。嫌な出来事が起きて、心が消耗する時間をなるべく作りたくない。そんな願いを毎朝考えながら日々を過ごしている。
平穏な気持ちで1日を終えたい。毎朝小さな幸せを願っているけれど、もちろんとびっきり大きな幸せも大歓迎だ。幸せは少ないよりも多いほうがずっといい。加えて、味わった幸せを共有できる人がいるともっといい。多くの人ではなくても、幸せを共有できる人が1人か2人でもいれば、その人は幸せ者なんだと思う。
平凡な気持ちで1日を終えたい。その願いが毎日叶えばいいのに、人生ってやつは平凡だけではいかないものだし、コントロールできないことで、人間は悩みがちである。
たとえば朝起きたときに、雨が降っていた場合だ。家から出る予定がない場合は、草木が喜んでいると考えられるけれど、外に出る予定があるときは、だるいだとか、早く止んでほしいだとか、ネガティブな考えが頭に思い浮かぶ。雨が降らなければ、人間は生きてはいけない。そんな周知の事実を知っているくせに、傲慢な考えがありがたい雨の恵みを厄介者扱いする。
そのほかにも何も考えずに言われた些細な一言で、傷つけられてしまった場合も心が苦しくなる。この人はいい人だからとか、そういった良心が自身の心を蝕む。自分を傷つけたその傷跡は消えないのに、相手が変わるその瞬間を誰よりも心待ちしている。なんて愚かなんだろう。なんて悲しいんだろう。でも、そんな自分の良心を褒めてあげてもいいんだと思う。
自分でコントロールできる部分で、平穏な暮らしを手に入れればいいのに、人間付き合いがそれを拒む場合がある。幸せは簡単に消えてしまうのに、嫌な出来事はいつまでも頭の中に残り続けるものだ。それでも不幸を味わう時間よりも、幸せな時間が多いほうがいいと誰もが願っているはず。
悲しい出来事が起きた場合は、自分をうんと甘やかしてみる。甘いものや普段食べないようなご馳走を、自分のために用意すればいい。好きなお酒を飲みながらNetflixかアマプラで映画を見るのなんかもすごくいい。自分の心が落ち着く時間を、心が踊るような時間を、平穏な時間を自分の手で生み出す。
自分の機嫌を自分で取れる人は、もれなく全員すごい。誰もが不機嫌と戦っているし、それに負けてしまう瞬間の方が多いはずだ。自分の機嫌取りが上手な人には国民栄誉賞をあげたいぐらいだし、それぐらいの価値があることだと思ってほしい。
自身の平穏は自身によって作られる。小さな幸せを自分から作りに行く。そして、それが平穏な毎日に繋がるんじゃないかな。知らんけど。