君の放つその言葉に「温度感」はあるか?
人を傷つけてしまうのは簡単なこと。
誰かを批判すること。それによって人は簡単に傷ついてしまう。
誰かを乏しめるような温度感のない言葉たち。そんな言葉を見るたびにとても悲しい気持ちになってしまう。
誰かを傷つけることで、幸せになった人は一体誰だ?
悪気のない何気ない発言でも傷ついてしまうことがある。
傷つける言葉を発した人は満足感に浸ることができたのかもしれない。
でも言われた人は絶対に幸せではないよね。誰かが傷ついて、誰かが満足する行為は片方しか幸せになることができない悲しい行為。
今一度、言葉を投げ掛けるその前に考えてみてほしい。
あなたが誰かに投げかけるその言葉は温度感のある言葉なのか?
もしも両者ともに幸せになりたいとする。
あなたが発する言葉が、片方しか幸せにならない言葉かどうかをよく選んで投げ掛けてあげてほしいな。
言葉は時として薬となり、時として刃となる。刃として言葉を扱うのではなく、薬として言葉を扱った方が幸福感はきっと高まるはず。
でも優しさと甘さは紙一重だ。うまくバランスを取るのがほんとうに難しい。
甘やかした方がいい時もあるし、厳しい意見を伝えてあげた方がいい時もある。間違ったことを誰かがしてたら、きちんと叱ってやるのが優しさだけど、それを放置してしまうこともよくある話。
他人の行為を放置してしまうのは、「嫌われたくない」だとか「目上の人だから」とかいろんな要因が考えられるよね。
相手に嫌われたくないから相手を甘やかす。
それは一見優しさに見えるようで、ただの甘さだ。温度感のある言葉を投げ掛けるのであれば、相手に思ったことをきちんと伝えてあげた方がいい。
「悪いことは悪い」ときちんと言ってあげることが優しさなんじゃないかな。たとえ嫌われたとしても、あなたの温度感のある言葉にきちんと気づいて、後悔してしまう日がきっとやってくるから。
その時に相手が歩み寄ってきたら、あなたがその人を許してあげればそれでいいんじゃないかな。
誰かを甘やかすことによる優しさ。誰かを甘やかさず厳しい言葉を掛けてあげる優しさ。
誰かを思いやった上での温度感のある言葉を発言する行為は甘さなんかじゃない。
難しいけど、適宜相手の状態を見極めて、それに見合った言葉を掛けてあげるのが一番良いよね。
言葉を綴る行為。
文章を書いていると綺麗な言葉や汚い言葉をたくさん読むことがある。
悲しい気持ちになったり、嬉しい気持ちになるから、言葉の魔力は凄まじい。
誰かを甘やかすのではなく、厳しい意見を時には伝えて、愛のある人でいることをいつまでも心掛けていたい。
温度感のある言葉で誰かを一時的に傷つけてしまうこともあるだろう。古文を肯定するわけでもないけど、それが優しさであると信じているからその方がきっといい。
でも相手をただ傷つける発言をしてしまった時はきちんと謝る。間違ったことをしたら相手に謝るというのは大人だと当たり前のことでしょ?
誰かを無闇に傷つけるのではなく、温度感のある言葉を今後も綴っていきたいね。