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よくわからないけどなんかいい

今日も仕事をしているだけで、半日が過ぎてしまった。明日も仕事、明後日も仕事。学生時代に比べると、休むが圧倒的に下手になっている。だから最近は、休むを仕事にするようにした。週1ぐらいは休めるようになったので、じぶんとしては御の字だ。

気がつけば4月も折り返し地点を迎えていて、時間は本当にあっという間に過ぎていく。あれだけ綺麗に咲いていた桜も、すっかり葉桜になってしまった。綺麗なものが散っていくその様はとても美しいけれど、ずっと咲いていてほしいという思いもある。

10代よりも20代になってからのほうが、時間の流れを早く感じてしまう。充実しているのか、それとも心を失っているのか。その答えはわからないけれど、時間の流れが年々早さを増し続けているのは事実だ。

時間といえば、昔は60歳になったら死にたいとずっと思っていた。老いていくじぶんを見るのが嫌。孫の顔を見れたらもうそれで十分だし、そのほかに生きる理由なんてない。

理由はそんな感じだったと思う。でも、いまは老いていくじぶんを見るのもいいのではないかと思うようになった。老いていく中で、どんなことをやっていくか。それが楽しみでもあり、寂しさでもある。なにがきっかけだったかは忘れた。生きたいと思える理由が増えた。ただそれだけの話だ。

そういえば最近インスタグラムのストーリーで、「エモい」ってなに?」って、フォロワーさんに質問をしてみたんだ。人によってエモいの解釈が違うのは当たり前なんだけれど、中でも「よくわからないけどなんかいい」と「言語化からの逃避」という返しは、まさにそれだなと思った。

言葉では言い表せないものを、「エモい」と簡単に言ってしまえる。時代の恩恵なのか、それとも言語化の劣化なのかは知らない。でも「よくわからないけどなんかいい」は、「エモい」を表すのにぴったりな言葉だ。「言語化からの逃避」もまさにな言葉で、じぶんの思いや感情を「エモい」で言い表して終わりにしてしまうのは、寂しさをも感じる。

「やばい」や「エモい」の多用は、自身の気持ちを言語化する可能性を奪う言葉だよね。でも、それで成り立つ世界もあるため、一概にも言語化からの頭皮が悪いわけでもない。

じぶんの感情を、簡単に表す言葉が、年々増えているような気がする。でも、僕は簡単な言葉に頼らず、出来るだけ具体的に言語化する努力をしていたいな。それがライターの務めだし、責務でもあるもんね。


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