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ぶっちゃけ28年間運の良さだけで生きてきた

みなさんこんばんは、ライターのサトウリョウタと申します。

この度、アド弁当カレンダーという企画で、4番目に書く人として参加することになりました。企画を簡単に説明すると、「キャリア」「プチ自慢」「目標」の3つのうちのどれかをみんなで書く企画です。アド弁当カレンダーについて詳しく知りたい方は、おだべんさんが1番手として書いたnoteをお読みください。

今回は自分のキャリアについて書かせていただきます。

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何者かになりたくて、必死にもがいた学生時代。何者かになるために、自己啓発本を読んだり、ヒッチハイクや中国地方と九州1周の旅に出たこともある。でも、何者かになりたい自分はどこを探してもいない。自分の正体は自分の中にしかないという当たり前の事実に気づくことことができなかった。僕の学生時代は季節の数だけ何かのせいにして、季節が過ぎた分だけ成長した気がしていただけで、なにも成長していなかった。

学校を卒業し、晴れて社会人となる。そして、楽しい社会人生活の始まりと思った矢先のことだった。尊敬していた上司に無理矢理MLMに登録され、精神の支障をきたし、わずか2ヶ月で僕は会社をやめた。周りからは当然心配されたし、親には辞めた後に報告したから、かなり怒られた。でも、「自分の人生なんだから好きにさせろよ」としか思えなくて、周りの心配に煩わしさを覚えていた。退職してから2週間ほど、無職として暮らす。そして、友人のつてでIT系の会社に転職することになった。

会社の業務に慣れるのに必死だった。でも、慣れてしまえばこっちのもので、半年後には部下を持たせてもらえるようにもなっていた。仕事を順調に進めていく中で、「10年先輩の上司が10年後の自分」だとどこかで聞いた。上司を見ても楽しそうに働いている人はいない。収入にも満足をしていない人がほとんど。10年後の自分を知ってしまった僕は、いつかこの会社を辞めて、転職か独立をすると心に決めた。

日々のルーティン化された仕事は非常につまらない。仕事がつまらなくなった僕は、文章でお金を稼げるという話を小耳に挟み、ブログを開設することにした。HTMLやCSSなど、わけのわからないアルファベットがずらりと並ぶ。仕事で疲れた後の英文字は体に毒だ。くそったれと思いながら、懸命にPCへと向かう。そして、数日間かけて、自力で自分のブログの設定などを済ました。ブログで最初に得た収益は、たったの16円だ。でも、自力で稼いだことがなかったため、この16円は死ぬほど嬉しかった覚えがある。

ブログで稼ぐことに味をしめた僕は、文章漬けの毎日を送っていた。仕事の合間に文章を書き、ランチ休憩でも文章を書く。挙げ句の果てには仕事終わりに、深夜までずっと文章を書き続けていた。書けば書くほど結果が出るのが楽しくて、休日も文章のことばかり考えていた。努力は夢中には勝てないをまさに体現していた。

ある日、友人と知り合いのお鍋パーティーに参加することになった。そこで知り合った人に「イベントスペース兼バーの運営をしてほしい」と頼まれた。やったことがないことをやるのは楽しい。だから、僕は迷うことなく、「やります!」と即座に答えた。仕事終わりにバーを運営し、ブログを書く毎日。そんな毎日を過ごしているうちに、体が限界を迎えた。体重も4キロほど落ち、食欲もほとんどない。どれかを辞める選択をすることになった。

悩みに悩んだ結果、会社員という肩書きを捨て、僕は独立という道を選んだ。会社を辞めて無事に独立をした僕は、相変わらず休むことなく馬車馬のように働いた。そう周りの人から心配されるぐらいまで働いたのだ。休むよりも来てくれるお客さんを喜ばせたいという気持ちが勝った。でも、バーの運営はうまくいかず、金銭的なトラブルの果てに、僕は独立から2ヶ月で運営から離れることになった。

バーの運営のために独立したのに、早々と辞めることになってしまった結果、途方にくれる。実生活とは反比例して、ブログの収益は上がり続けた。自分の現状と収入が、反比例している事実が悔しい。たった2ヶ月で会社員に戻るなんてダサすぎて、僕のプライドが許さない。自分にできることを試行錯誤した結果、文章を仕事にすることにした。そう、僕がライターになった理由はただの消去法で、かっこ悪い自分から逃れるためでしかない。

ライターとして仕事を依頼をいただき、順風満帆かと思えた矢先に、ベーチェット病という難病にかかった。目にもやがかかりなにも見えなくなった。仕事はおろか1人での生活が成り立たない。約2ヶ月ほど仕事ができず、自宅療養を強いられた。療養中は金銭面で支援していただいたり、食事をご馳走になったりもした。生活もままならない生活は思った以上に、負荷がかかる。そのため難病の療養中に、死にたいと思ったことがなんどもある。なぜ自分が難病になったのかもわからなかったし、「自分だけがなんで」とずっと思っていた。でも、当時付き合っていた恋人や周りの人のおかげでなんとか踏みとどまれた。いろんな人の支えのおかげで無事に社会復帰できるようになったので、本当に感謝しかない。

今も治療は続いており、毎月1回病院に定期通院をしている。先月も担当医に「失明するかもしれません宣言」と「視力がもう元には戻らない宣言」を受け、精神的に死んでいた。でも、周りの人の支えのおかげで、今は精神も少しずつ落ち着きを取り戻し、仕事に復帰もできている。

これまでに企業様の記事執筆、編集、取材、広報などを主に手掛けてきた。今後は企業様のSNS運用や企画、ディレクションなど様々なことに挑戦させてもらうことも決まっている。

僕が胸を張って、みんなに自慢できることは、「自分の周りには優しい人がたくさんいる」ということだ。人は1人では生きられないし、僕も当然のごとく、人の支えがあって生活が成り立っている。そして、周りの人に助けてもらえる僕は間違いなく、幸運の持ち主でもある。生まれて1度も運が悪いと思ったことはないし、この幸運があるから、周りに優しい人がいっぱい集まってくれているに違いない。だから、これからも自分の運の良さを最大限に利用して生きていたいし、周りの人に与えてもらうだけでなく、自身もなにかを還元できるように生きていきたい。

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