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人は必ず死んでしまうから

僕たち人間は例外なくいつか必ず死んでしまう。

僕には受け入れたくないものがある。それが人が死ぬということ。特に身内の不幸はあまりにも受け入れ難いこと。受け入れるのに時間が掛かるし、一緒に過ごした思い出が、フラッシュバックした時には、涙が止まらなくなってしまう。

僕は21歳の頃に母親を癌で亡くしている。身内の不幸は母が初めてで、母の死を受け入れるのに、1年ぐらいは掛かった。くよくよしていてもきっと天国の母は喜ばないだろうから、前を向いて生きていくことを心に決めた。

母を亡くしたことは悲しいこと。でも僕は自分のことを不幸だとは思わない。自分の周りには素敵な人たちがたくさんいるし、今素敵な経験をさせてもらえるのは、父と母が出会い、僕をこの世に産み落としてくれたからだ。

産まれていなかったら嬉しいも悲しいも怒りも楽しいも味わうことができなかったから、僕を産んでくれた父と母には感謝しかない。

僕の母はとても明るく、人に優しい人だった。虫も殺さず、外に逃がすタイプの人。特に男性から女性への暴力を特に嫌う。僕が幼少期の頃、「なんで女の人に暴力を振るってはいけないの?」と聞いたことがある。

母は「女の子は男の人に力では勝てないでしょ。だからもし腹が立った時は、暴力ではなく、口で泣かしてやりなさい」と答えた。

怒るのも苦手で、なめられやすく、人に優しくすることしかできなかった。母以上に優しい人を今まで見たことがない。誰かに尊敬する人を質問されたら、僕は迷うことなく母だと答えている。

そしてあまりにもすぐ泣いてしまう人。泣くのが趣味なんじゃないかって疑問に思ってしまうほど涙もろかった。テレビやドラマ、小説を読んで泣ける心の優しい人。でも僕には何かに感動して泣くということが当時はわからなかった。

僕が18歳の頃に母が癌ということが判明。「なんであんなに優しい人に恐ろしい病が襲いかかるのか」と正直疑問で仕方なかった。癌という大きな病が判明した後も母は誰にでも優しく、平等に人に接していた。

正直なところ意味がわからなかった。自分が癌に掛かったというのに、なんであんなに明るく優しかったのか。でも今ならわかる。僕も母ほど大病ではないが、難病になってしまったから、明るく振舞うことの大切さや、人に優しくする大切さが、身に染みてわかるようになった。

母は誰に見えないところで、人知れず泣いていたんだろう。でもそんな弱いところを子どもの僕には一切見せなかった。おそらく子どもには弱い部分を見せたくなかったんだろうな。

でも本音を言うと泣いて欲しかった。「不安である」と声を大にして伝えて欲しかった。僕の母は人に頼ることが大の苦手。なんでも自分でやってしまうタイプ。それで乗り越えることができていたのがまた厄介なところだった。

ちなみに僕も周りに頼るのが苦手だ。「人に頼れない」という性格は母譲りのものなんだろうな。似なくていいところを似てしまったからほんとうに参っちゃうよ。

18歳の当時は、母に癌を宣告されても、まさかお別れの日が来るとは思ってもみなかった。現代医学を信じきっていたし、絶対に治ると信じてやまなかった。「まだ40代だし、死んでしまうことはないだろう」と安易に考えてしまっていたことを今では死ぬほど後悔している。

闘病生活を3年ほど経て、2月の寒い真冬の明け方に、僕の母は帰らぬ人となってしまった。人が死ぬなんてニュースや知人の話でしか聞いたことがなかったから、「人の死」を目にした時に受け入れることができなかった。

当時の僕は就活生。母に内定をもらったこと。仕事をしている姿。美味しいご飯をご馳走するという約束を果たせなかったこと。色々挙げていけばキリがないほどの母にしてあげたかったことをできなかった。

母が亡くなったことを理解できぬまま始まる葬儀。あんなに優しかった母がなぜという気持ちが拭えないまま、綺麗になった状態で、母は僕の目の前に現れた。

いろんな人が母のために集まる。話を聞いていると、「とにかく優しかった」という話しかみんなしていなかったから、「本当に優しい人だった」ということを改めて知った。

色とりどりのお花。好きだった小説や漫画。ずっと集めていた食玩やキティちゃんのハンカチ、母な好きだったものに囲まれていた。スヤスヤ眠っているだけで、今にも目を覚ましそうだった。でも目を覚ますことはなく、母は棺に入れられたまま焼却炉へと向かっていく。

焼かれてしまった母の体。残ったものは骨と産んでくれた姉と僕。病気に犯されてしまって弱々しくなった母の骨。あんなに素敵な母がこんな形になるなんて思ってもみなかったし、骨を見るだけで胸が痛くなる。

人はいつか死んでしまう。人の死を初めて体験した。最初は骨になった母に会いにいくことを躊躇していた。それは母の死を受け入れることができなかったからである。

今はもう定期的にお墓まいりに行って、自分の近況報告をすることができている。行くたびに泣きそうになっているのは内緒の話。

母の死が僕に生きる希望を与えてくれた。なんのために生きているかわからなかった僕はなぜか死にたくないという気持ちでいっぱいになった。

テレビやドラマ。小説や本を読んで、感動して泣くこと。母の死がきっかけで、僕も簡単に泣いてしまうようになった、きっと母が僕に残していってくれたものは「感情」なんだと思う。

母の死を経て、人に優しくすることの大切さを知った。人の痛みを知り、本当の意味での優しさを知って、僕は人に優しく、起きる出来事に感情を注げるようになった。

母の死の話をすると「かわいそうね」って言われることがある。なぜあなたに哀れまれないといけないんだろうか?可哀想だなんて思われたくないし、自分のことを可哀想だと哀れんで生きるなんて絶対に嫌だ。

悲劇のヒロインぶるのは柄じゃないし、思っているよりも僕は幸せに生きることができている。

悲しむだけ悲しんだし、母との思い出は一生僕の中に残っている。でもこれから先もふとした時に悲しんでしまうこともあるだろう。でも僕は生きていて幸せだし、これからはせめて死ぬまでは生きていたい。それがきっと僕にできる親孝行だから、僕は僕の人生を生きてみせる。

人の死を受け入れることは簡単なことではない。でもきっと大丈夫。きっと乗り越えることができるから。人の死を受け入れることに1年、いや10年掛かったって構わない。

時間が解決してくれるだなんて言うけど、実際はそうじゃない。

時間を掛けて自分で乗り越えたんだと信じていたい。

自分の生き方に胸を張れるよう精一杯生きていく。


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