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君は幸せになっていい
「幸せになりたい」と、学生時代に無意識で口にしていた。当時は自分が幸せではないと思っていたのかもしれない。その証拠にどこに幸せは落ちているのかをずっと探していた。
幸せになる人とは自分の欲望のままに生きている人だと思っていて、何もかもを諦めてきた自分には到底なれないものだと思っていた。自己犠牲をして生きてきたため、他人よりも自分を優先して生きている。それが当たり前だと思っていたし、自分の感情を押し殺して生きているほうが楽に思える日があったと思えるほどにだ。
誰かが笑ってくれるなら自分はどれだけいじられてもいい。その行為が自分を傷つけるものだと気づいているのに、その生活から抜け出せない。悲しみや苦しみは誰にも見せなければ、自分以外は傷つかずに済む。その状況になれてしまうと、心がどんどん鈍感になっていく。そうやって自分から幸せになる権利を放棄していた。
こう言うと可笑しな人間のように思われるかもしれないけれど、私にとっては結構本当のことだった。
幸せになりたいとずっと願っていた学生生活。社会人になってからは幸せになりたいと思わないようになった。自分が幸せになるのは申し訳ないといった気持ちから幸せへの欲望が徐々になくなったのかもしれない。痛みに鈍感になりすぎると、幸せへの罪悪感を感じるようになる。こんな自分が幸せになってもいいの?と、幸せな出来事が起きるたびに、何度もそう思った。
自分の心に自分で勝手に蓋をする行為は、なんだかもったいないような気がする。そもそも幸せの尺度は人によってちがうものだ。僕が幸せだと思ったものが他人にとっては幸せではないかもしれないし、その逆も然りである。
幸せとはブレーキをかけるものではなく、勝手に味わっていいものだ。誰にだって幸せになる権利はあるし、幸せになるために生まれてきたと言っても過言ではない。人生は1度きりだし、幸せを追い求めるのは普通のことだから、幸せになりたいという気持ちに蓋をする必要はない。もっと貪欲に幸せになりたいと思っていいし、幸せになるために毎日を過ごせばいい。だから、あなたは幸せになってもいいと自分に言い聞かせて、これから先も生きていこう。
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