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裸になること

今日はふと自分が書いた文章を見返してみた。ここ3年ほどは、なにかしら毎日文章を書いているため、文章を書くことが日常化してしまっている。

過去に書いた文章を読んで、下手くそだなと思いながらも、自分が過去に書いた文章に救われている自分がいた。

まるで過去の棚卸しをしているみたいな感覚で、変わっていく自分と、変わらない自分を、知ることができるから定期的に、自分が書いた文章の見返しを行なっている。

定期的に原点に立ち戻り、前に進むためのきっかけを自分の書いた文章から見つけ出すのだ。自分の軸を見失わないように、軌道修正をするために、自分と向き合う。

自分の文章を読み返していると、自分の考えたことや感じたことを、出し惜しみなく、世の中に公開しているから、恥ずかしい気持ちになる時がある。

思考の垂れ流しは、まるで裸を見せているかのような気分になり、さらけ出すことに、開放感と恐怖を同時に感じてしまう。

嫌われたらどうしよう?

こんなことを考えても、どうせ嫌われる人には何をやっても嫌われるから、僕は自分の考えたことや感じたことをさらけ出している。

もちろん誰かに嫌われたら悲しいし、嫌われることは怖いことだ、

でも合わない人は確かにいる。だから、仕方ないと受け入れることでしか、自分の自我を保つ方法はない。

SNSの自分と現実世界の自分。自分を偽ることはとても簡単なこと。順風満帆な投稿をしている人も、裏では苦しんでいるかもしれない。努力を表に出さず、キラキラしたところしか他人に見せないという人を今までに何人も見てきた。

SNSの自分と現実世界の自分がまるで別人だったら、現実世界で出会った時に、キャラとのギャップを感じる人がいるかもしれない。そして、その結果嫌われたり、好きの気持ちがより一層増していく人がいる。

自分のことを知った上で、嫌われてしまうのは諦めるけど、自分を偽って嫌われてしまうのはなんか違う。諦めたくても不本意すぎて諦められない。

だから僕は自分を偽ることをせず、裸をさらけ出していく。

見せたくないところは見せなくても良いから、これからもどんどん裸をさらけ出していこうと思った所存。

どんどん裸をさらけ出そう。

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