「運の良さ」について
自分のことを「運が良い人」だと思っている人は、どれぐらいいるのだろうか?
ちなみに僕は運の良さだけで、この年齢まで生きてきたと思っている。それは「運が良くなる方法」をこれまでにたくさん実践してきたのもあるかもしれない。
「運が良い人」は「他人に何かを与え続けている人」だと僕は考えている。
だから学生時代からずっと募金をし続けているし、一日一善もずっと欠かしていない。転けている自転車を立てる、ゴミを拾うなどなんでも良い。とにかく良いことをやることに意味があるのだ。
困っている人がいれば、朝まで話を聞くことだってあるし、当事者よりも怒りを感じてしまうこともある。身の回りで悲しんでいる人がいるのが、嫌だし、できれば笑っている時間を過ごして欲しいから、そのために時間を割くのはもったいないとは思わない。
「下心がないのか」と問われれば、もちろん下心はある。むしろ、下心が半数を占めているかもしれない。でも、やらない善よりやる偽善なのだ。
自分の身の回りの人たちが豊かになれば、自分も豊かなステージに引き上げてもらいやすい。後は純粋に何かをしてあげたいという気持ちが強いというのもある。
だから相手が喜ぶようなことをたくさんしたい。そして、あわよくば身の回りの人に自分が困った時に助けてもらいたい。
現に学生時代にお金で困っていた時も、周りの人に助けられたし、難病になった時も、周りの人に助けてもらった。
独立して失敗で悩んでいる時も、色々な人のおかげで這い上がってこれたし、今はこうして文章を仕事にすることができている。
良いことも悪いこともあったけど、相対的に見れば、僕は運が良すぎる人間だ。
嫌なことが起きてしまった時は、「今日は運が悪いかも」と思ってしまいがちだけど、「嫌なことがあった後は、良いことがあるよね」って考えれば、本当に良いことが起きるようになっている。
運が良いと思えば、本当に運が良くなるし、運が悪いと思えば、運が悪くなってしまう。
だから僕は自分のことを運が良い人だと思っているし、それは死ぬまで変わらないんだろうな。
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