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ずっと、大阪で生きてきた

人が行き交う交差点の青信号が点滅し始めた。急げば渡れるけれど、急ぐのも面倒なため、信号が変わるのを待つことにした。青から黄色、そして、赤信号に変わる。これで強制的に足を止めざるを得ない。足を進めなきゃと焦っているときに、止まらざるを得ない状況になることは、一度立ち止まってじっくり考えよという暗示なのかもしれない。

目の前をたくさんの車が過ぎ去って行く。赤、白、黒、人によって乗る車の色は変わる。3台続けて同じ車が通ったときは「いや、そんなことある?」と、すこし笑ってしまった。マスクをしていても入ってくる排気ガスの匂いや、太陽の熱気にやられてしまいそうになった。立ち止まる人はハンカチで汗を拭っている。建物のなかで信号を待ち、太陽の熱気から身を守る人もいた。

青信号に変わり、たくさんの人が足を進める。人に押し込まれるように、一歩ずつ前に進む。足取りが悪かろうと前に進んでいる感覚がある。目の前を通りすぎる名も知らない人。たぶん一生関わることはないんだろうとすこしだけ寂しくなった、と同時に、いま関わってくれている人をもっと大切にしようと胸の中でつぶやいてみせた。

よく色んな人が、大阪は人情であふれていると言っている。Googleマップのおかげで人に道を尋ねる機会は減ったけれど、誰かに道を尋ねるたびに、時間あるんでと、嘘か本当かわからない親切心に何度も救われてきた。大阪のおばちゃんがカバンの中に飴を入れているという説はたぶん本当だ。電車に乗っているときに、突然おばちゃんに話し掛けられて「ほら、飴ちゃんあげる」と言われたこともあるし、迷っていたおばちゃんに道を教えたときにお礼にと飴をもらった。

来年の二月に東京に移住する予定だ。それなのに最近になって、大阪のいいところがやけに目に付く。大阪を離れるからこそ、いいところを探してしまっているのかもしれない。最近は地元の商店街をお店開拓にはまっていて、暇さえれば商店街を徘徊している。なぜかドラッグストアが4店舗もあるし、野菜は安いし、人は温かい。小汚い居酒屋にイタリアン、おしゃれなカフェとまだまだ知らないお店がたくさんあった。

もっと色んなお店に行きたいと思いはするものの、もうすこしで大阪を離れてしまうという事実が頭を過ぎる。「本当は大阪にいたいんじゃないの?」と心が問う。そんなことはないよと言い切れない自分がいた。一体どうしてしまったんだろうか。

まだ移住が確定してないじゃないかと言われたら、それは事実なんだけれど、大阪から離れるのがすこしだけ寂しい。東京は未知数だ。いまの生活を手放してまで行く価値のある場所なのかもわからない。ずっと住み続けてきた街にいたほうが気持ちははるかに楽なのも知っていて、移住の気持ちがすこし揺れていることが手に取るようにわかる。

生まれ育った大阪で、たくさんの季節を乗り越えてきた。春は大阪城公園に桜をよく見に行ったし、夏は天神花火や淀川花火を見た。秋は家の近くの公園で紅葉を、冬は中之島のイルミネーションを何度も見た。笑ったのも泣いたのもぜんぶ大阪だ。季節の変化を、日々の暮らしを大阪ではなく、東京で味わうのがやっぱりすこし寂しい。

それでも東京に行きたい気持ちは冷めないままである。たとえ大阪から離れたとしても、それは今生の別れではない。帰りたいときに帰ればいいだけの話。新幹線なら2時間半ぐらいで帰れるし、そこまで思い詰めなくてもいいという結論に至った。

ずっと大阪で生きてきた。30年生きてきた大阪を離れ、東京に移住すると決めた。この大きな決断が、吉と出るか凶と出るかはまだわからない。根拠はなにひとつないけれど、30年の歴史がお前ならどこに行っても大丈夫だと言い続けている。その直感を信じて、東京に移住すると決めた。だから、大丈夫なんだと思う。

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