大層な自分じゃなくていい
『生まれてきたからには何か爪跡を残したい』
10代、20代はずっとそう願いながら生きてきた。本音を言えば、今も『何か爪跡を残したい』って考えているけど、以前までの情熱はきっともうない。
ただどんなときも目指すべきは上。下を目指すのでもなく、横並びになりたいわけでもない。そして、負けるのは死ぬほど嫌だから、自分のために努力をし続ける人間でいる。
でも、きっとこれからもたくさんの人に負け続けるのであろう。『上を見ること』は『負ける覚悟をすること』でもあるんだよ。
なるべく誰にも負けたくないけど、きっとそこから抜け出すことはできないし、負けからなにかを学べる人間でありたいし、せめて自分にだけは勝てるような人間でありたいってのが本音。
『どんな人間になりたいんだろう?』と考えたときに、すぐに出てきたのが、『自分の人生を楽しんでるやつ』だった。楽しさが多い方が人生はきっと充実しているから、楽しいことを見つけたときに、そいつを全力で追いかける人間でありたいよなって思う。
たいそれたものが出て来なかったのが少しだけ寂しかったけど、なんだかいい意味で少し大人になったような気もする。でも僕は大層な人間になりたいとは思わない。大層な人間は、なりたい人になってもらえばいい。
別に偉くなりたいわけでもないし、できるだけ偉さとは無縁のところに身を置いていたい。人とのしがらみから解放されるために、フリーランスになった節もあるしね。
僕は大層な人間ではなく、愚かな部分も拙い部分もたくさんある人間。大層な人間を目指すと、愚かで拙い部分を否が応でも直そうとするのであろう。そんな自分の理想像に押しつぶされてしまいそうになるのは、自分らしくないからなるべく避けていたい。
『適当にゆるく生きる』
これが自分のモットーであり、行動指針でもある。
適当にゆるくから外れる真似はしたくない。ときには適当ではなく、真剣になる場面も出てくるだろうけど、そのときでも『なんとかなるさ』と余裕を持って生きる人間でありたい。
そして、適当の質を周りよりも上げていく作業も怠りたくないんだよ。
自分の基準が上がれば、適当のレベルも勝手に上がる。周りからちゃんとしてると思われても、自分にとっては適当だから辛くもなんともない。
適当のレベルを上げて、少しずつ自分のステージを上げていこう。
『まあ、なんとかなるさ』の精神で、僕はこれからも生きていく。