「人を好きになる」ってなんだろう?
「人を好きになる」って、一体なんだろうか?
僕は28年間生きてきて、「好き」の答えをまだ導き出せていない。
ある人は好きになることを「苦しみを知ること」だと言った。そして、ある人好きになることを「成長痛」だと言った。誰かを愛し、誰かに愛されるのが恋愛の醍醐味。その刹那の中で、人は成長したり、何かを失ったりもする。そして、尾形真理子さんは恋に落ちる瞬間を「試着室で思い出したら、本気の恋だと思う。」と言った。僕には試着室で好きな人を思い出す経験はまだないけど、綺麗な景色を見たり、美味しいものを食べた時に一緒に行きたいなと思うことはある。多分それに似たような類のものなんだろうね。
学生時代は今よりも人を好きになるハードルが低くて、人を好きになる回数も多かったような気がする。僕の初恋は、中学2年生の冬で、初めて人のことを本気で好きになった。「初恋は実らない」なんて皆は言うけど、僕の初恋は念願叶って実を結び、「一生守っていきたい」なんてくさいことを当時は本気で思っていた。手を繋ぐだけでドキドキして、好きな人を抱きしめるだけで、この世で1番幸せだと感じられるほどの無垢さ。そして、恋人の家に行くときは心臓が止まるかと思うぐらいには緊張して、帰る頃には汗でシャツがびっしょりだったこともある。
ただ一緒に過ごす時間を共有できるだけで、十分すぎるほど幸せだった。失う怖さよりも、今の幸せをどうやって続けていくかを考える日々。今よりも感情的だったから、余計な一言で相手を深く傷つけてしまったこともある。その度に反省するんだけど、怒りをコントロールできず、また同じことの繰り返し。傷つけて、傷つけられて、「思いやり」や優しさを少しずつ身につけてきた。花が咲いた実は、いつしか枯れゆくのが定石。高校に上がるとお互いの気持ちに摩擦が生じ、僕からお別れを告げて、僕の初恋は虚しくも終わってしまった。
失恋するたびに、「あの人より素敵な人はいない」と思えるほどの純粋さ。素敵な人は山ほどいるけど、「あの人以外に自分に合う人はいない」と何も疑うことなくただ信じきっていた。でも、実際は自分に合う人なんていくらでもいて、結局は当人次第だという現実も知ってしまった。純粋な自分は過去の話で、「もっと素敵な人がたくさんいる」だなんて簡単に思えてしまうから、あの時の自分は一体どこに行ってしまったんだろうか。
純粋の塊だった自分もいつしか汚れを知り、純粋のかけらすらなくなってしまった。そして、歳を重ねるごとに恋愛に奥手になって、今ではすっかり人を好きになることが怖くなっている。失恋することが怖いのか。それとも好きな人に好かれなくなることが怖いのかはわからないけど、シンプルに異性として人を好きになれなくなっている。
恋人がいない状態だから失うものなんて何もないはずなのに、傷つけたり、傷つけられるのがただただ怖い。恋に臆病になるなんて学生時代の自分は思っていたのだろうか。いや、きっと臆病な自分を想像していなかったはずだ。だから今の状態を見て、1番肩を落とすのは学生時代の自分なんだと思う。
幸せになるために一緒になるのが恋愛で、幸せになるためには、会話じゃなくて、「対話」が必要となる。対話を重ねたはずが、どちらかの主張が強くなり、いつしか対話ではなく、指摘へと変貌を遂げる。指摘にも思いやりはきっとあるはずなんだけど、指摘の続いた関係性に嫌気がさして、僕は誰かに恋をすることすら億劫になってしまった。
失うものなんて何もないはずなのに、人を好きになるという感情が、一体なんなのかわからない。そして、少しずつ歳を重ね、恋愛=結婚になってしまった。ただ一緒にいたいだけの無垢な恋愛ではなく、責任が増えたことによって恋がなんなのかわからなくなっている自分がいる。
20歳ぐらいで第一次結婚ラッシュがやってきて、25歳ぐらいに第二次結婚ラッシュがやってきた。そして、28歳になって第三次結婚ラッシュがやってきている。僕は男なのでそこまで結婚を急いでいるわけではないけど、結婚の嬉しいニュースを聞くたびに、「うらやましいな」と思ってしまう。
「うらやましい」って感情は一過性に過ぎないのだけど、回数が増えるたびに、同じ感情が芽生えてしまうのが厄介なところ。28歳になると、友人のインスタやFacebookの投稿が結婚の話だったり、育児の投稿ばかりがやたらと目に入る。「うらやましい」という一過性の感情を何度も味わうたびに、自分がどうしたいのかがわからなくなってしまう。
「人を好きになる」って、一体なんだろうか?
「好き」の正体は、いまだによくわかっていない。ただ1人でも生きていける人間同士が恋に落ちるからには、今よりも幸せになれる可能性を感じているのであろう。そして、ひとつの恋にひとつのドラマがあって、世の中にはたくさんのドラマがある。2人のドラマがロマンチックなものになるか、絶望のバッドエンドを迎えるかどうかは知らないし、そいつは本人たち次第でだ。
恋に落ちる刹那の中で、誰かが喜び、誰かが悲しむ。そして、恋に落ちたことで、大事なものを手に入れたり、失ったりもする。恋は人を成長させる劇薬みたいなものなんだろう。自分の大切なものと、好きな人の大切なものが自分と一緒じゃなくてもいいけど、もしも一緒だったならそれだけで生まれてきた甲斐がある。
僕が「好き」の答えを導き出すのは、時期尚早でまだ全然焦らなくて良いはず。少しずつ自分なりに「好き」の答えを導き出していけたら良いなって。そして、「好き」の適切な答えは人それぞれで良いし、きっとその方が良いんだろうね。
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