学生時代の自分が嫌いだった
自分の好きなところをひとつも言えなかった学生時代。
僕はそんな自分が嫌いで仕方なかった。
あなたは自分の好きなところを答えることができますか?
僕の家庭はとても貧乏だったからやりたいことを諦めることが多かった。
日々の生活すらままならず、家族の生活費を稼ぐために働いてばかりだった。
「どうせ助けてもらえない」という考えばかりが脳裏にちらつく。助けを求めることができず、自分の檻の中でただ塞ぎ込んで、誰にも本音を話すことはなかった。
大学の授業が終わり、すぐに帰路に着き、夜な夜なアルバイトに励む毎日。深夜も働いていたから、授業を飛ぶことなんてしょっちゅうだった。
僕の通っていた大学では授業を休むことは許されない。全部の授業に出席が付けられていたから、授業を休む人はほとんどいなかったんだよ。
授業を飛ぶことが多かった僕は、いつしか友人から「クズ」呼ばわりされるようになった。「事情を話したところで何も変わらない」と勝手に決めつけていたから、自分の家の事情を話すことなく、悔しい思いをしたまま学生時代を終えた。
だから、僕は未だに大学時代の友人から「クズ」と思われているかもしれない。まあなんでも良いけどね。
友達に遊びに誘われたとしても、生活費を稼ぐために働く必要があったから遊びを断り続けた。その結果、遊びに誘われることがなくなり、「ノリが悪い奴のレッテル」を貼られてしまった。
本当はね、授業終わりにみんなと遊びに行きたかったんだよ。普通の学生生活を送りたかった。だから普通に遊びに行くことができる友達がうらやましくて仕方なかったんだよ。
学生時代にやりたいことなんてなかった。やりたいことを見つけることができたとしても、時間やお金がないからどうせできない。
日々の生活を成り立たせることに精一杯だから、やりたいことを考える権利すらないと思っていた。でも今ならそれが逃げだったことがわかる。
でも遊ぶ時間もやりたいことに挑戦する時間もなかったから、諦めざるを得なかっただろう。ほらまた言い訳だ。こんな自分がとてつもなく嫌になる。
やりたいことに挑戦することさえせず、言い訳ばかりの自分自身。そんな自分の好きなところなんてなにひとつとしてなかった。
さて、自分のやりたいことはなんだろう?
やりたいことをやることができたら自分の好きなところを見つけることができるだろうか?
社会人になってから、自分が文章を書くことが好きだったことを思い出す。仕事が終わってから、文章を書く毎日。いつしか文章を仕事にできるようになっていた。
あなたは自分の好きなところを答えることができますか?
今なら胸を張って、自分の好きなところを言うことができる気がする。
やりたいことをやっている自分。人に優しく接することができる自分。
やりたいことをやるようになって、自分の中の価値を見出せようになった。でもそれは学生時代にやりたいことを諦め続けてきたからなんだろう。
「辛かった学生時代は無駄なんかじゃなかった」と思える自分が僕は好きだ。
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