バッドエンド週末
人生がもしもラブストーリーだったなら。この恋物語は報われなかった恋物語として、物語られる。はじまったら最後。終わるまでは止められないこの思い。朝、目が覚めたときに君のことを思い、夜眠る前にまた君のことを思う。
どこにいても、なにをしてても、好きな人のことで頭がいっぱいになる。うわの空になるだなんて人は言うけれど、好きな人ができるとはそういうものだ、好きな人の前で正気を保つなんて本気の恋じゃないし、余裕のある恋なんて長続きしないのがオチ。恋は人を美しくも、醜くもする。この恋はどうか私を美しくする恋でありますようにと、願いながら好きな人に思いを馳せる。
休みの日になれば、雑誌やネットで可愛くなるための情報を手に入れる。女の子がかわいくなるための武器である化粧品。新作が出るたびに、じぶんに合うかどうかを研究している。少し前にネットでパーソナルカラー診断をした。私はイエベか、それともブルべか。じぶんに合う化粧の仕方がわかれば、可愛さはさらに増幅する。
つまりかわいいは最強なのだ。私がもし男だったらかわいい女の子の隣を歩きたい。道行く人に「ねえ、あの人かわいくない?」と言われて、「おお、そうだろう」なんて言いながら好きな人の横顔に見惚れていたい。
私はじぶんのためにかわいくなるというよりも、誰かのためにかわいくなるのほうがモチベーションが上がる。だってこの世界に誰もいなかったらかわいくなりたいなんて思わないでしょう。誰かがいるからかわいくなりたい。そして、好きな人が私を褒めればいい。そんな思いで、私は今日もjかわいさを追求しているのだ。
彼と連絡を取り出して、もう1ヶ月ぐらいになる。出会いは友人の紹介がきっかけで、初対面のときに私が惚れてしまった。連絡は3日に1回。休みの日には長電話だってする。仲がいいと言われれば、そうだと言えるし、距離が縮まらないといえばそうだ¥と言える。
彼がどう思っているかはわからない。ずっと連絡を取っているし、少しは脈があるのかもしれない。なんて言ったところで、彼の心のうちはわからない。他の女の子とも連絡を取っていたら少し嫉妬しちゃうだろうし、そんな現実が実際に起きないように心から願っている。
片思いには2つの思いがある。それは報われそうな思いと報われない思いだ。報われそうな片思いは世界で楽しいけれど、報われない片思いはいつだって絶望を運んでくる。この片思いはきっと報われる。そう信じて、好きな人のためにかわいくなる。でも、女の子はいつだってかわいいものだ。
来週末に3回目のデートをすることになった。よく見る恋愛系の記事には、告白のタイミングは3回目ぐらいがちょうどいいと書いてある。それは人によって変わるけれど、この恋はきっと3回目に決めにいくのがグッドタイミングだと言えよう。
舞台は遊園地。デートにはもってこいの場所である。いつもよりかわいい化粧をして、神だってアイロンで巻いてきた。これで落ちない男子はいない。それぐらいの気持ちでデートに望む。そんな彼は白いプリントTシャツに、黒いスラックスを履いて、黒い革靴を履いている。女の子が好きな服装をきちんと押さえているし、高い背丈がよりグッとくる。
ジェットコースターで叫び、メリーゴーランドでメルヘンな気分になる。夜は観覧車に乗って告白をしたい。でも、そんなメルヘンな恋愛は私たちには似合わないだろう。もし振られても大丈夫なように、帰り道で告白をする。成功すれば幸せな気持ちで帰れるし、失敗しても泣き顔を見られることもない。
「遊園地好きなの?」
「うん!遊園地は好きじゃなかった?」
「俺も遊園地好きだよ。いろんな乗り物を楽しめるし、世界観を楽しむことだってできる。非日常を味わうのにもってこいの場所だよね」
「良かった。あ、晩御飯はどうする?ここで食べてもいいし、どっかに移動して居酒屋でもいいし」
「ごめん。夜は予定があるんだ。だから、夕方ぐらいに解散ってことでいいかな?」
すこし雲行きが怪しい気がした。胸が妙にざわつく。遊園地のマスコットキャラクターが手を振っている。私たちを祝福しているのだろうか。それとも、、、
遊園地デートを終え、彼の車に乗り込む。シートベルトを締める。帰り道はすこしぎこちなくて、会話が弾むことなく、車が環状線を走っていた。ラジオから今日のヒットソングが流れている。このラブソングみたいに2人の恋もむy食われればいい。でも、進行停止の標識ばかりがやたらと目に映る。これは恋の進行停止信号なのかもしれない。でも、今日言わなければ、きっと後悔するだろう。
最寄駅近くで車から降りる。いつもならすこしだけ話をして、幸せな気持ちでお別れをする。いまここで言おう。緊張をほぐすために、人という文字を飲む。そして、拳を強くぎゅっと握りながら言った。
「あのさ、私、君のことが好きなの。」
震えながらも声を、気持ちを懸命に伝える。
「ごめん、俺実は他に好きな人がいるんだ」
「そっか。ちゃんと伝えてくれてありがとね。好きな人と幸せになれるように遠くから願っとくね!」
精一杯の強がりだった。本当は2人でしわせになりたい。でも、その願いは叶わないから、せめてもの強がりとして、余裕があるふりをしてみせた。余裕がある恋愛は長続きしない。だから、きっとこの恋が実っていれば、長続きしなかったはずだ。それに私はこの思いをちゃんと伝えた。後悔はないし、私を振るなんて本当に、見る目ないなぁ。泣けるなぁ。
好きな人にフラれたあとに、親友に連絡した。
「好きな人にフラレちゃったんだ」
「あら、どっか飲みに行く?今日は失恋記念日として、奢ってあげるよ」
「本当?じゃあ今日はあいつを忘れるために、いっぱい飲んじゃおうかな」
この恋物語がもしも映画になったら、きっと誰かが泣いてしまうだろう。ハッピーエンドの物語よりも、バッドエンドの物語に共感をしてしまうのは、それっが日常的に起こっているからかもしれない。バッドエンドの物語にじぶんを重ねて、そっと涙する。でも、誰もがハッピーエンドを求めているのだ。
でも、実際に舞い上がっていたのは私だけで、彼のほうはなんとも思っていなかった。報われると思っていても、報われない。そんな失恋物語がこの世界には溢れている。恋は実らないほうが多いし、実ったとしても、枯れてしまう恋がほとんだ。ディズニー映画のような真実の愛を誰もが求めているし、枯れていく恋なんて誰も経験したくない。
恋に破れて、涙して、恋が実って、そして、枯れていく。このループを終わらせられるかそうかは2人次第で、このループにはまり続けるかどうかも2人次第である。バッドエンドの物語よりも、ハッピーエンドの物語のほうがいい。だから、もしどこかで2人の恋が報われたときには、もう誰も泣かない話にしよう。