僕にはやりたいことがないから、「誰かのやりたい」を文章で広めていきたい
世の中には、たくさんの人が知らない人やサービスが山ほどある。そして、素敵な思いや素敵な世界観を持っている人がたくさんいて、その思いが知られることなく、埋もれていくのはなんだかすごく寂しい。宝の持ち腐れのような気がして、そんな人のために何ができるのかをじぶんなりに考えてみた。
自分にできることは、文章を書くこと以外には何もなくて、その事実が単純に悔しいなって思っていた。でも、素敵な人やサービスを文章にしてお届けできるのではないかと考えるとたまらなく嬉しくて。じぶんの強みを最大限に発揮するために、文章を通じて、たくさんの思いやサービスを届けていきたいって強く思った。
そして、僕はこれまでにじぶんのために頑張れた試しがない。じぶんのために頑張ろうと決めても、いつも挫折してしまい、心が沈んでしまっていた。その繰り返しを経て、誰かのためにしか頑張れないことにコンプレックスを抱いていたんだけど、そんな自分を許してあげたいとも思えた。
素敵な思いを持って活動している人を僕は心から尊敬している。やりたいことが見つからない人が大半なのに、自分の軸を持って、アイデアを具現化できるなんてシンプルにすごい。語彙力が皆無だからすごいしか言えないのが、悔しいんだけど、思いを持って行動することはそれだけで称賛に値するのだ。
「何かを変えたいという思いを持って行動する」に尊敬の念を抱くのは、自分にはできないからかもしれない。やってもないのにできないと決めつけるのは良くないことなのかも。でも、届けたいものもなければ、世界を変えたいなんてたいそれた野望が僕にはなにもない。本人が世界をより良くしたいって思ってないから、じぶんには嘘をつきたくないんだよ。
言っておくが、これは諦めではない。諦めではなく、自分のできることを最大限に活かしたいってこと。自分のできる強みを自分なりに活かそうとする行為は諦めではなく、紛れもない大きな前進なのである。
自分の届けたいものがないからこそ、誰かの届けたいものや思いを文章で届けていく。文章は誰かの心を揺さぶるもので、良くも悪くも扱えてしまう。だからこそ、良い風に扱っていきたいし、僕の書いた文章で、誰かの心が1mmでも動いたのであれば、それは書き手冥利に尽きるのだ。
世の中の素敵な人やサービスを少しでもたくさんの人にお届けするためにも、これからも文章を書く力を身につけていきたい。