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愛なんて

何もかもが愛によって許されるのなら、愛という名目で相手を傷つけることも許されるのだろうか。

愛という名の下で全てが正義でまかり通る世界なら、そんな世界には僕は住みたくないし、愛なんてもはや役に立たない。

愛は恋とは何が違うんだろう。ネット上でよく見かける愛についての考察は未だにしっくりくるものがないし、ありきたりだから印象に残っていないんだよ。

愛の定義ってなに?よくわからないよね。子どもに向ける愛。好きな人に向ける愛。似てるようでどこか違う。愛の種類はきっとたくさんあるんだろうな。

誰かを好きになる行為。好きになれる人がいるのは幸運なこと。好きな人と結ばれる確率なんて、めちゃくちゃ低いし、奇跡みたいなものだ。

好きな人と一緒になれることは、とても素敵なことだし、僕だってできればそうなってたい。

愛を相手に与える行為。愛とは見返りを求めないことなのか。

うーん、愛を与える行為にも下心があってもいいと思う。下心はみんな少なからずあるでしょ。下心がないなんて嘘。悟り開いてんのかよ。

だから、愛を注ぐ行為は下心があってもいいと思う。

愛ってなんだか難しいものね。

好きな人を愛するが故の過度な依存は、相手への信頼を失うこともあるし、疲弊させてしまうことだってある。愛の代償で周りが見えなくなるなんてことはよくある話。

何かを得るためには何かを犠牲にしなくてはならない。

例えば愛も同様で友情を犠牲に愛を得る人がいる。そして裏切られたり、裏切ったりして、後にはなんにも残らなくなる。そして途方に暮れ、自暴自棄になる人もいる。

愛によって人生が良いようにも悪いようにも変わる人をたくさん見てきた。

愛を求めるが故に壊れる人生。なんだろ、虚しすぎて言葉にならないや。

そもそも愛ってなんだっけ?

あれ?愛の総量って人によって違うんでしたっけ?

綺麗事も愛という言葉で片付けてしまえるのなら、もはや愛にはなんの効力もない。

愛とは猛毒で、愛とは幸福への切符なのである。愛の使い道は人によって違う。

過度な愛は過度な期待を生む。過度な期待が依存を生み、見返りがなければそのことを嘆いたりなんかする。

適度な愛で人と接することで、程よい距離感を保つことができるのかもね。

「愛なんて」と考えるか「愛のおかげで」と考えるか。

愛を前向きに捉えるか、後ろ向きに捉えるかは本人次第。

僕はできる限り前向きに愛を使っていきたいなと思うのでした。

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