見出し画像

18歳、笑顔が下手くそだった自分へ

僕は、今年で28の歳になる。

そして、明後日で独立3年目を迎えるため、今日はその節目として、10年前の自分に向けて今日は文章を書いていこうと思う。

作り笑いさえもうまく作れなかった

かつての僕は笑顔が下手くそだった。

笑えど笑えど、いびつな表情になってしまう。

そんなかつての自分が大嫌いだった。

家に絶望的にお金がなかった学生時代。16歳から家族の生活費を稼ぐ必要があった僕は、友達が遊びに行っている間に、生活のためのお金を稼ぐ毎日を過ごしていた。

金なし。コネなし。まるで生きる当てもない。生きる意味について考えてみたものの、結論のすべてがネガティブなものにしかならない。

生きることそれ自体が嫌になり、「このまま生きていても明るい未来は来ないんだろうな」って勝手に絶望していた。

「死んだほうがマシかもしれない」という言葉が、脳裏をちらつかせる。でも死ぬ勇気はこれっぽっちもなく、ただ過ぎていく毎日を無感情のまま過ごしていた。

稼いでも稼いでも、どんどんなくなっていくお金たち。そして、働くたびに悲鳴を上げる体。声にならない嗚咽を漏らす毎日。

自分のためにお金を使うのではなく、家族のためにお金を稼ぐ。今気づけばそれも自分のためだったんだけど、当時は、「なんで自分がこんなに働かなきゃダメなんだ」って思っていた。

「他所は他所、うちはうち」という言葉が嫌いだった。なんで他の子どもよりも苦労して、なんで他の子どもよりもつまらない毎日を過ごさなきゃならないんだ。比べるべきではないけど、みんなもほんの少しだけ苦労しろよってずっと思っていた。

日に日になくなるお金に焦る毎日。希望の差し込む間なんてどこにもなく、絶望ばかりが僕の耳に囁きかける。出口の見えない暗闇。進めど進めど、どんどん深くなっていく沼。誰にも暗いところは見せまいと、必死で作り笑い。

下手くそな作り笑いに、「もっとうまく笑えないの?」という声が飛んでくる。笑い方すらも忘れていたから、電車や鏡の前で笑顔の練習をする毎日。自分の歪んだ笑顔に、嫌気が差す。笑顔すらうまく作れない、そんな自分が情けなかった。

偉人の名言にすがり、自己啓発にすがる。そして、一時的に手に入れたポジティブな感情。鉄は熱いうちに打てとは言えど、すぐさま冷めてしまうそんなやわなポジティブでしかなかった。

1人になると、すぐにネガティブが暴れ出す。常に、やり場のない感情の行き場所ばかりを探していた。

何も苦労せず生活ができる友人がうらやましくてたまらなかった

何も苦労をせずに、生活ができる周りの家庭がうらやましかった。そして、少しでも良いから痛み分けができる友人が欲しかった。

友人のお誘いも、バイトのために断る毎日。「どうせ断られるから誘わない」と、お誘いの声すら徐々になくなっていった。

SNSに上げられる旅行写真や、楽しい飲み会の写真に、自分がいることなんてない。それが何よりも悔しくて、悲しくて、うらやましさばかりが僕の胸を締め付けた。

日々の生活を送るために深夜まで働いていたから、学校を幾度も休む始末。やがて、クラスメイトから「クズ」と呼ばれるようになった。確かに周りから見れば、僕はクズだったのかもしれないね。

でも、何も言い返せない自分が嫌いだった。自分の事情を打ち明けたところで、なんの解決にもならないと勝手に決めつけていた自分がもっと嫌いだった。

人生が早く終われば良いと思った。地球なんて今すぐに滅びればいい。車に轢かれて死んでやろうかとなんども思った。

他人のポジティブの押し付けがさらに絶望の道を誘う

「生きていれば良いことがあるよ」

知らぬ顔をしたポジティブの押し付けに、突如目の前が真っ暗になる。階段の上から、突如突き落とされたあの感覚と近しいものだった。

希望を持った人生から、他人にポジティブを押し付ける人生は楽しいですか?

ポジティブを押し付けるぐらいなら、もしよろしければ自分と変わってもらえませか?

生きていれば良いことがあるなんて、そんなもん知るか。綺麗事だけじゃやってらんないんだよ。今の悲しみと苦しさが自分のすべてで、未来の良いことなんて誰が信じられるんだ。今の苦しさと悲しみを解消することが、どう考えても先決だろ。やってられっかよ。

卑屈だった。何も信じられない自分だった。

支えてくれる人たちの言葉がノイズだった。笑うことすら億劫だった。

生きていても良いことなんて、なにひとつとしてない。

もはや、生きる意味なんてなかった。

作り笑いさえうまくできなかった18歳の自分へ

18歳から10年の月日がたち、僕は28歳になった。

10年の月日の中で、学校を卒業したり、新卒の会社でうまくいかない経験をした。転職先では新人さんの教育係をさせてもらったり、様々な経験をさせていただいた。

そして、友人とバー兼イベントスペースの運営もした。アートやエンタメの素晴らしさに引き込まれ、表現者がどんどん好きになった。

フリーライターとして独立して、納期に追われる毎日。自分の力量不足で、クライアントさんに迷惑を掛けたことは数知れず。

ライターの業務に少しずつ慣れ、うまくいっていると思った矢先にかかる難病。またしても絶望が降りかかる。

でも周りの人たちのおかげで、なんとか社会復帰することができた。今、自分を支えてくれている人たちには感謝の気持ちしかない。

今も治療が続いているけど、仕事もプライベートも楽しみながら日々を送っている。

辛いことも楽しいことも、たくさん経験してきた。

10年の月日で変わったことは、「笑顔が素敵だね」って、言われる回数が増えたこと。

あれだけ絶望していた人生も今では、笑いのたえない人生になっている。

「生きていれば良いことがあるよ」

生きてりゃ良いことあったよ。当時はこの言葉を信じれなかったけど、今ならこの言葉は本当なんだって胸を張って言えるよ。

死ぬ勇気なんてなかったけど、生きてて本当に良かったと思っている。

そりゃ一筋縄ではいかなかったけど、ちゃんと生きてたから、笑顔が絶えない今があるんだよ。

死を選ぶことなく、ちゃんと生きてくれてありがとうね。

10年前に絶望していたお前の人生は、案外捨てたもんじゃないんだぜ。

ありがとうございます٩( 'ω' )و活動資金に充てさせて頂きます!あなたに良いことがありますように!