ずっと隠し続けてきた思いを、いまここで話そうと思う
雨が降る日曜日。日中はどこかで花見をしながら読書をしようと思っていたのだが、雨のせいですべての計画が水の泡になってしまった。
なにをしようか考えていると、ふと過去を振り返りたくなった。家族で幸せに暮らしていた頃の夢を、見てしまったからだ。ちなみに僕は過去に、ほとんどいい印象を抱いていないし、過去には絶対戻りたくない。
喜びよりも、苦しみのほうが多かった過去。母の死や姉の出産、父の浪費など、ありとあらゆる災難が家族に降りかかった。
お金がなくて飯が食えない生活。母のガンの治療費を稼ぎながら、家族の生活費を稼ぐ日々。奨学金は生活費へと消えた。どれだけ稼いでも手元にはほとんどお金が残らない。そんな生活に疲れているじぶんがいた。
学生時代は学生らしいことはほとんどしていない。お金が原因でやりたいことをたくさん諦めてきた。だからいまこうして好きなことばかりやっているのかもしれない。
高校生あたりから、家族行事がほとんどなくなった。家族で旅行に行ったのは中学生のときが最後だし、高校生になってから家族全員で食卓を囲んだ記憶もほとんどない。
「家族に迷惑をかけまい」といい子を演じる日々。成績は優秀、先生からの評判も良くて、将来有望だと言われていた。そんな生活がずっと続くと、ストレスも溜まる。そして、誰にも悩みを打ち明けられず、深夜の河川敷で声を出して泣いた。
いい子を演じているじぶんが、なぜこんなに苦しんでいるのだろうか。我慢を強いられているじぶんがなぜだ。こんな世界は狂っている。当時はじぶんが、世界で1番不幸な子どもだと思っていた。
いま振り返れば、友達に恵まれていたり、手を差し伸べてくれる人もいたから当時もそこまで悪くないと思えるんだけれど、不幸の渦中にいるときは、小さな幸せには気づけないものだ。
じぶんがいい子を演じることの疑問は、日に日に強くなるばかりだった。人生のいいことと悪いことの比率は、半々ぐらいだと言われているが、当時は悪いことしかないじゃんと思っていた。
そして、いまの僕の原動力は、「過去に戻りたくない」という思いが大半である。心のどこかで、ずっと家族を恨んでいた。だからこそじぶんが家族を作ったときは、僕が感じた思いを感じさせたくないと思っている。幸せな家庭を築きたい。その思いはいまも変わらないし、ちゃんと実現できるように、日々生活を送っているつもりである。
いまも昔もずっと家族が大好きだ。好きだからこそ、許せない部分があったし、「しっかりしてくれよ」とずっと思っていた。
ちなみに母のことは恨んでいない。母は僕が1番尊敬している大切な人だ。当時の生活で1番苦しんでいたのも、頑張っていたのも母で、あの苦しみの中で、僕のことを1番に思っていてくれたのも母だった。
家族を恨んでいないと、ずっと思い込んでいたのだけれど、心のどこかでずっと恨んでいた。じぶんに正直になるのが怖い。家族を恨んでいるなんて人に恥ずかしくて言えない。家族を恨んでいた事実からずっと目を背けていた。でも、もうじぶんの思いを隠す必要も、嘘をつく必要もないんだ。
そして、家族をずっと恨んでいたからこそ、この思いにさよならを告げたい。
さよならを告げたいと思った理由は、家族の全員が不幸を望んでいたわけではなく、結果的に不幸になってしまったという事実を知ったからだ。
本当は幸せな家庭を夢見ていたはずで、幼少期の頃はたしかに幸せにあふれていた。父と一緒にから揚げを作ったり、姉と一緒に買い物に出かけたり、母と一緒にクロスワードを解いたりもした。
あの日々に嘘はない。あの日々がずっと続けば、僕たち家族はきっと幸せに満ち溢れていた。
父も母も姉も、あの苦しい暮らしを望んでいたわけではない。望んでいたわけではないけれど、なにかのきっかけでそうなってしまっただけだ。
ひとつのボタンを、かけちがえたことがきっかけで、幸せの崩壊がはじまり、幸せな家庭から遠ざかっていった。誰も想像すらしていなかった幸せの崩壊。思い当たる節はたくさんあるけれど、そこはあえて割愛したい。でも、不本意だったことはたしかだ。
自ら不幸を選ぶ人間なんていない。誰もが幸せを願い、幸せになるために日々の暮らしを営んでいる。
父も母も僕のことを愛してくれていたし、じぶんの子どもの不幸を望んでいたわけではない。その事実はきちんと理解している。結果として不幸がたくさん降り注いだだけだ。そして、人生は思い通りにいかないことのほうが多いという事実を、28年間で嫌になるほど思い知らされた。
でも、もうぜんぶ許してしまおう。恨み続けるのは疲れるし、家族という縁で繋がっていることは揺るぎようのない事実だ。過去は消えないけれど、いまを幸せに生きている。家族との経験があったからこそ、築き上げたい家族像もできたし、やりたいこともたくさん増えた。
じぶんの思いに、正直になることが怖かった。でも正直になったことで、心が身軽になった。まるで、檻の中から解き放たれた動物のような感覚だ。空ははてしなく広大で、緑は生い茂っている。3月はさよならを告げるにはもってこいの季節だ。春という季節が、僕の選択を肯定してくれているにちがいない。
いまは難病と戦い続けている。なんとか持ち堪えることができているのは、家族との暮らしがあったからだ。そして、たくさんの人に囲まれ、好きな仕事ができている僕は、いまとても幸せに暮らしている。
気持ちを整理できてすっきりしたので、外に出ることにした。すると、雨が降っていた。でも、止まない雨はないし、雨のあとには1本の虹のアーチがどうせ街を彩ってしまう。これは人生も同じで、不幸は永遠には続かないし、どうせ幸せになってしまう。だから、これまでと同じように、幸せになる努力をずっとしていたい。
今月末に家族で久しぶりにディナーをすることになった。そのときはぜひとも笑顔が溢れた時間を過ごしたいものだ。
そして、こう言ってやるんだ。
ねえ、母さん、あなたが築き上げたかった幸せな家庭は、たしかにここにあったよ。