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hiro_19325
「たられば」なんて、どこにもないから
あの日、あの人に出会っていなかったら。
きっと人生は、今とは大きく違うのものになっていたに違いない。
いや、違う形で今のような人生を過ごしている可能性もあったのかも。
たらればなんてこの世界にはないと、ありきたりな事実を誰もが知りながらも、僕らはいともたやすくたらればを望んでしまう生き物だ。
たらればをいくら願ったとしても、叶わずに散りゆくのが多くの定め。
そこにあるのは起きた事実のみ。事実以外は認められない。
起きた事実の連続が今を彩る。
そして、彩りの繰り返しを僕らは懸命に生きている。
かつて掲げた夢は、いとも簡単に敗れ去った。
あと少しみたいな希望を一切抱くことなく、簡単に敗れ去った。
希望を持たせるから「たられば」なんて絶望してしまう。
だったら最初から希望を持たずに生きればいい。
そんな儚い人生を送りたいと誰が思うのだろうか。
叶わなかった夢がある事実を知った。
それは叶う夢もきちんとあるということ。
ある人は僕にこんなことを言った。
「片足を踏み出せば、もう片一方の足は勝手に踏み出すよ」
夢の叶え方はシンプル。ただ足を踏み出すだけ。
たったそれだけのことを人はすぐさま躊躇してしまう。
最初の一歩を踏み出すことは怖いこと。
そして、一歩を踏み出さず、たらればに逃げ出してしまうのがオチ。
誰かの励ましによって、最初の一歩が軽くなる。
なんてのはよくあるお話。
できないと思っていたのは自分自身。
そして、それを覆すのも自分自身。
片足を踏み出してごらん。
きっと、そこには新しい世界が広がっているはずだよ。
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![サトウリョウタ@毎日更新の人](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/77022172/profile_dd8ad96b5debfa72f56a2929001585c8.jpeg?width=600&crop=1:1,smart)