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苦手なことについて

僕は苦手なことが多い。

初めましての人と喋るのが苦手だし、大人数だと萎縮してうまく話せない。絵を描くのが苦手すぎて姉貴に500円払って、夏休みの美術の宿題をやってもらっていたし、リズム感がないから高校時代に、自分が入っていた団の全生徒の前で、ボックスステップの練習をさせられたこともある。

「苦手なこと=かっこ悪い」ことだと考えていた僕は、苦手なことを克服しようとして、できないことにばかり目を背けていた。

「苦手なことを克服すればもっと成長できる。」

成長物語に囚われていた僕は、成長するために苦手なことを克服しようとしていた。

自分の苦手なところを紙に書き出して、自分のできないことに目を向ける。

リスト化することで、自分を苦手なこと知り、1つずつ克服すれば成長へと繋がると信じて苦手なことを克服する挑戦をした。

ほんとうは苦手なことを克服することで、褒めてもらいたかったのかもしれない。誰かに褒めてもらうために挑戦するなんてまるで子どものようだった。

でもいくら時間を掛けても、苦手なことは苦手なままで、自分の成長が垣間見られない。僕はダメ人間なんじゃないかなってへこむこともあった。

できないことに目を向けることで、自己肯定感はどんどん下がる一方。

時間をかければかけるほど、苦手なことが自分に向いていないことを知って、自己肯定感を下げてしまう。

でも良く考えてみろよ?

苦手なことは誰しもがあることだ。

僕が憧れたロックスターも時間を守れなかったり、暴れすぎて毎回マイギターを壊していた。直そうと努力をしていたみたいなんだけど、感情のままにまるで子どものように同じ過ちを繰り返していた。

直したくても直せないこともある。

でも苦手なことが魅力的に見えることがあるんだよ。

完璧な人間だとなんにも面白くない。深みのある人間は、苦手なことがある。全部できないということをきちんと理解していて、完璧な人間ではない。愛すべき欠陥をきちんと持っていて、その代わりにできることに全力を捧げている人が多い。

苦手なことは苦手なままでいい。それよりも自分が得意なことを伸ばしていくことの方がよっぽど大切だ。文章が得意なら文章力を上げればいいし、サッカーが得意ならサッカーの腕を磨けばいい。

得意なことに時間をかけて、苦手なことは誰かがやってくれればいい。僕は絵を描いて生活するという生活を夢見たことがった。でも実際は全くと言っていいほど絵が描けない。僕は絵で食べていくことができないから、僕の夢は誰かが叶えてくれればいい。その代わり僕は誰かの夢を叶えていく。

自分の苦手なことにへこんでしまうよりも、得意なことを伸ばすことで、結果を出していきたいし、自己肯定感を高めていきたい。

それでも苦手なことを克服したいのであれば、少しずつ克服していけばいい。

できないことはいっそのことやめてしまう。できる人に任せればいい。

時には諦めも肝心。時間は有限だ。

君に残された時間はそんなにない。

さて、どんなことに時間を使おうか。

僕は得意なことを伸ばしていくことにするよ。

さて、君はどうする?

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