「あざとさ」の正体
「今年度も皆さんお疲れ様でした!今日だけは、無礼講でいきましょう。たくさんお酒を飲んで、美味しいものを食べて、来年に向けて体力をつけてくださいね」
「皆さんグラスを持ってますか?それではいきます。」
「かんぱーい!!」
社長の乾杯の合図とともに、例年どおり忘年会がはじまった。1年の嫌なできことを忘れる会。嫌なことならいくらでもあるし、忘れられるものならすぐさま忘れたい。少なくとも、来年には持って行きたくないってのが本音だ。でも、嫌なことの原因を作ったほとんどの原因が会社でのできごとだから、もはやなにも言うことはあるまい。
くそ、なんでこいつらのために時間を割かなきゃならんのだ。嫌なことが増えるくそみたいな会じゃねぇか。なーにが忘年会だ。気を使うこっちの身にもなってみろよ。嫌なことを忘れてるのはお前らだけで、こっちは嫌なことがさらに増えるだけなんだよ。さっさと終わって家に帰りたい。
無礼講だと先輩たちは言うが、俺たち後輩は、先輩の無礼講を真摯に受け止めるほど、まだ成熟していない。現に見てみろ。お前らはすぐさま後輩を潰したがる。後輩どもが、嫌がってんのがわかんねぇのかよ。お前らがやってることは、嫌なことを増長させている行為なんだよ。くそが。でも、言いたいことを言えないこの醜い性分が嫌になってくるな。
無礼講の飲み会なのに、先輩たちのグラスが空いたら、すぐさま「先輩、グラス空いてますね。次はなにを飲みます?」と気を遣うやつだっている。こういう媚びを売って、出世を考える奴が俺は大嫌いだ。自分を下げてまで相手から評価をもらう必要ある?仕事で結果を見せろよ。でもこういう奴が上司に気に入られて、出世する。会社はどれだけ上司に気に入られるかの運ゲーでもあるし、そんなことは百も承知だけど、俺には媚びを売るなんて真似は到底できない。
「あら、林田くん。グラス空いてないじゃない。ちゃんと飲んでる?」
3つ上の山田さんから声がかかる。円卓の端っこでちびちび酒を飲む俺を気遣ってくれたのだ。彼女はいつも抜群のタイミングで、声をかけてくれる。
「まあ、ぼちぼちっすね。こういう会はただ疲れるだけなんで、正直早く帰りたいってのが本音です。」
「林田くんは、媚びを売るとかそういうの皆無だもんね(笑)仕事は誰よりも熱心に取り組んでて丁寧だし、上司に媚びさえ売れたら絶対に出世するんだけどなぁ〜。ほんとそういうとこもったいないね(笑)」
彼女は俺の直属の上司だ。俺の仕事を媚びとか一切関係なく、評価してくれる唯一の人。そして、山田さんは社内でもトップクラスの良い女だ。仕事はもちろん気遣いも100点で、非の付け所がない。先輩や同期にも、かなりモテる。俺が同期や先輩から疎ましく思われるのも、彼女が良い女であるからだ。俺は、たまたま彼女の直属の部下になったただの被害者だ。嫉妬の矛先の原因を作った彼女の粗をずっと探しているが、彼女の辞書には粗という文字は載っていない。モテる女性の定義を聞かれたら俺は間違いなく、山田さんを例に出す。
「仕事さえできれば出世できると思ったんですけど、世の中そんなに甘くないって、この会社で引くほど痛感しました。でも、媚びを売るとか向いてないんですよね。だから、同期で積極的に先輩にお酒を注ぎに行く奴はすげぇなって思ってますよ。」
「うわー、出た。林田くん絶対そんなこと思ってないでしょ。すぐにバレる嘘をついてもこの私にはバレるんだからね。新卒からずっとお世話してる私の目はごまかせないわよ(笑)」
俺の嘘はすぐにバレる。俺が仕事でミスった時は、仕事終わりに、「嫌なことがあったから一杯付き合ってよ」と自分がしんどいふりをして、いつも俺の愚痴や不満を聞く会を設けてくれる。でも、だいたい彼女が酔いつぶれて、俺が彼女を家まで送る羽目になる。ちなみに上司と部下の関係を抜け出したことは1度もない。家に送り届けたあとは、すぐさま家に帰る。俺は彼女を好きなんだろうか。それさえもわからない。彼女は俺をどう思っているんだろうか。やめろ、今はそんなことを考える時ではない。
「私ってさ、社内の女子からあざとい女って言われてるんだよね(笑)悪口ってことは理解してるけど、発想がしょうもなさすぎて、付き合ってらんないの。もっと自分のことに必死になれば良いのに、相手を打ち負かすことに必死になって馬鹿みたいだよね。」
「うーん。でも、山田さんがあざといのは事実っすからねぇ。たしかに自分のことに、必死になれってのは同意です。先輩に媚びを売るのも自分に必死ってことだから、俺は自分に必死になれてないかもですね。」
「でもさ、他人をあざといって感じるときは、その人を意識しているからなんだよ。どうでも良い人があざといことをしても、あざといって感じないでしょ。だから、君が私をあざといと思うのは私のことを意識してるからなんだよ。わかるかね、後輩くん。」
飲んでいたグラスを、回しながら彼女は言った。お洒落に決めたつもりなんだろうか。大抵の男を、これで落としてきたんだろうな。でも、俺がこれまでに抱えていたあざとさへの答えが、この場所にあった。確かにあざとさは相手を意識しているから芽生える感情だ。どうでもいい人には、あざといという感情は芽生えないし、うざい、醜いとか負の感情に置き換わる。その証拠に、僕は先輩を意識してしまっている。僕が先輩に抱く感情を、先輩は気づいているのだろうか。できれば気づかないでほしい。この感情がバレるにはまだ早熟すぎるし、俺にはまだ気持ちの整理がついていない。
「あれ?顔が真っ赤になってるよ?もしかしてさ、私のことを意識してくれてた?林田くんがそういう感情になるのなんか嬉しいなぁ。私もまだまだ女ってことだね。」
ああ、やめてくれ。それ以上、俺の心に侵入しないでくれ。俺たちは、あくまで会社の上司と部下だ。それ以上の関係を、君に求めたくなってしまうだろ。それに俺の抱いている感情が、「好き」という感情なのかはまだはっきりしていない。でも、正直上司と部下の関係性を保ち続ける自身が俺にはないってのが本音だ。
「おーい、お前らお会計だ。1人3,000円な。林田、お前同期の分のお金を回収してくれ」
空気を読めないくそ上司の声が、居酒屋に響き渡る。
「へーい」と空返事をして、同期のお金を集金する。そして、社長のクソみたいな演説と、一本締めで忘年会が終わりを告げた。
「ねえ、林田くん、このあと家で飲み直さない?」
ああ、やっぱり俺はこの人には敵わない。あざとさの正体はその人を意識しているからというのはたしかに納得だけど、あざとさの裏には洗練されたなにかがきっとある。彼女はあざとさをナチュラルに出すため、嫌味が一切ないのだろう。でも、男を落とす術を熟知している狡猾な女であることは間違いない。
「俺、そんなにお酒強くないっすからね!」
すっかり赤くなった顔を並べ、2人は同じ方向へと帰路についた。