見出し画像

悔しいなんて気軽に言えない

と言った後輩がいました。めちゃくちゃ努力したことじゃないと、悔しいなんて言っちゃいけないんだと、そういう主旨でした。いい言葉だなと、かっこいい考え方だなと思いました。

僕にとっては「悔しい」という単語とセットになって、今でもずっと記憶に残っている言葉です。もう15年も前のことで、文脈は覚えてませんが、お互い大学生だったと思います。最近その後輩が結婚したと、友人づてに聞きました。


何かが起きてから、直後に「悔しい」と思うときもあれば、何年も、何十年も経ってからそう思うときもあります。思い出し悔しいみたいなのだったり、何かきっかけがあって解釈が変わったりして、突如昔の何かが悔しくなったりもします。

つい先日も、15年越しの後悔がありました。前からわかってたんですが、程度が変わったと言いますか、その大きさが更新されたみたいなことが起きました。


変えられる過去、変えられない過去

これまで、過去は変えられると思ってたんですよ。解釈によって変えられると。起きたことをどう捉えるかは自分しだいで、力にするも、ネガティブに引きずるも、解釈だなと思ってました。フロイト的ではなくアドラー的な考え方ですね。

自分の過去だけじゃなくて、例えば家系や血液型、家族・兄弟構成、星座etc、どれも解釈かなと。次に進むための勇気になるような何かを探すか、止まるための言い訳を探すか、みたいなことなのかなと思いました。じいちゃんがこういう人だったからおれもできるにちがいないとか、〇〇座だからこういうことが得意にちがいないとか、何とでもなる気がしてたんです。



今回の後悔への気づきが大きかったのは、解釈とかじゃなくて、そもそもそれが起きたこと自体をとても避けたかったなと。つまり、変えられない過去だったんですね。そんなものがあるのかと、もうそれは本当に驚きました。



これまでの後悔は、変えられる過去でした。解釈によってプラスにできるといいますか、バネにしてどうこうできるものでした。中には本当に悲しい、残念な、傷が残るようなものもあります。その悔いが残るような事実はもちろん避けたかったです。でも、それが起きたから今がある、だからがんばろう、みたいな前向きな力で進めるんです。

一方で変えられない過去の後悔は、漠然とした、巨大な穴のような、ちょっと前向きになるのに時間を要するというか、自力だけじゃ前向きになるのが難しいほどのインパクトがありました。あのときには戻れないという事実があまりに大きかったです。過去のことなのであたりまえなんですけどね。

それでも、時間がかかったけど前を向けたのは、友人のおかげでした。結論としては、それでも解釈で乗り越えるしかありませんでした。過去が変えられないと理解した上で、それを所与のものとして、どう受け止めるかだけ決めるしかありませんでした。


これはここ1週間くらいの話なのですが、この体験を経て、少しまた人の解像度が上がった気がします。他者の後悔について、これまでより感じ入るようになりました。共感というか、想像がおよぶようになった気がします。とにかく、感じ方が変わりました。

YOSHIKIというアーティストがいます。X JAPANのリーダーで、ピアニスト・作曲家としても活躍しています。彼が、かつてのメンバーで、故人でもあるHIDEを失ったときに作った『Without You』という曲があるのですが、もう20年経っているにも関わらず、今でも、ライブやコンサートで演奏する際に、昨日起きたことのように感傷的に、涙を流して演奏するんですよ。

これまでは、なんて感性豊かな人なんだと、そういう風に思ってたんですが、今回のことを経て、とんでもないものを背負ったまま生きてるんだなと思うようになりました。詳細は割愛しますが、彼は死の責任すら感じてしまっているのではないかと、その前後にあったXのいろんな事件も全部を背負ってるんじゃないかと感じるようになりました。それは想像もできないほど大きなことで、何より故人もいるような、解釈などでは変えようもない、戻らないことが起きてしまっていることです。

彼のせいかどうかはともかく、彼自身が自分の責任だと感じてしまっているのではないかと、そう感じました。そしてそれを背負った。比較しなくてもいいことだとは思いますが、それでも比較してしまいました。こんなもの背負った人がいるなら、人間まだまだ背負えるんだと。抱えたまま生きていけるんだと。そして世界中であまりに多くの人がXやYOSHIKIに心を打たれているのを見て、こういう痛みはもしかしたら僕が知らないだけで誰もが持ちうるのだと。大袈裟かもしれませんが、そんな風に思いました。



後悔を避ける一番の方法は、何もしないことです。でもそんなことは誰も望んでない、あるいは望みたくはないんじゃないかと思います。

日々学生や社会人の方々と1on1させてもらう中で、このままだといずれ後悔してしまうんじゃないかと思うときがあります。でもわからないし、予想だにしない状況で突然後悔が起こることもあるでしょう。そういう意味では後悔は回避も管理もできないのかもしれません。


じゃあ学生や社会人のメンターとして何ができるか、何をすべきか、書きながら考えてみました。

1つは、後悔に蓋をしない/させないことかなと。蓋すると、気づかぬうちに蝕まれて、正直さとか素直さとかを失ってしまう気がするんですね。それではあまりに不健康で不幸な気がするので、蓋をしないようにするのかなと思いました。

もう1つは、背負おうと思ったときに、少しでも応援したり、勇気づけたり、支えたりすることかなと。背負おうとしたものの大きさに潰されないように。僕も自力だけじゃ進めなかったので。


変えられる過去だけじゃなくて変えられない過去もあるけど、それでもそれをどう受け止めるかは変えられる。でも結構大変だから、たまには誰かを巻き込んだり、巻き込まれたりしながらできるといいのかなと思いました。

とりとめのない話ですみません。

今日もありがとうございました。
Xの過去の映像見過ぎて、泣き過ぎました。

いいなと思ったら応援しよう!