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生と死、共に生きる。

note75日目。

千と千尋の神隠しに引き続き、もののけ姫を観た。
もちろん映画館で。
もののけ姫も何回も観ているほど好きな作品。

この作品も、結局千と千尋の神隠しと同じで、「生きること」がテーマだと思うのだが。
まあそんなこと言ったらどの作品もそう言えるんだけど。
でも千と千尋の神隠しは「人間が生きる上で大事なこと」みたいな感じ。
生きる力、みたいな。

もののけ姫は死生観があって、もっと大きな「生きること」。
この世の生命、すべてに当てはまるものだと思う。

肝心なのは死に食われぬこと

師匠の受け売りだと言っていたジコ坊のセリフ。
この作品の中で非常に重要なキーワードとなっていると思った。
そして、観ている人の死生観にも影響を及ぼすんじゃないかな、と。

「死に食われる」とはどういうことだろう。
死を恐れるあまり、自分を見失うこととか。
死ぬ運命を呪ったり、恨んだりすることとか。
なのかなあと思った。

そして、死に食われた結果、シシ神に命を吸い取られるかあるいは、たたり神となって暴走してしまうかのどっちかになってしまう。
自分が死ぬとわかっていながら、それと向き合っていたアシタカやモロはとても気高く見えた。

ただ、モロは死ぬのが怖いと言っていたのでシシ神には救われなかったのかなと思う。
アシタカは、サンが「死ぬのなんか怖くない」と言ったのに対し理解を示していたことから、死に対して恐れをあまり抱いていないことがわかる。

死に対して、生きるということに対しては、ハンセン病の長のセリフの中に、

生きることはまとこに苦しく辛い。世を呪い人を呪い、それでも生きたい。

そして、終盤のシーンでのトキの一言。

生きてりゃなんとかなる!

ここに死生観が垣間見える。
トキが人間として強すぎて、たのもしい。笑

曇りなき眼

死に食われないためには何が必要なのか。
それはきっと「曇りなき眼」なのかなと思った。

自分の運命をしっかりと曇りなき眼で見定めた結果、アシタカの呪いは解けたのだ。

曇りなき眼とは、偏見なしに物事を見据えることだと思う。

Twitterでレスバトル繰り広げている人には曇りなき眼が必要。
正直、サンとエボシの一騎打ちシーンが、Twitterのレスバトルに見えてしょうがなかった。笑
自然保護派vs人間優先派の争い的な。
周りでわーわー言ってる人たちはリプ欄でわけのわからないことを言ってる人たち。
そりゃアシタカもブチ切れるわ、と勝手に感情移入した。

現代において、曇りなき眼は確実に必要である。
誰か売ってくれないかな。

共に生きよう。

そして、最終的には共生へと向かっていく。

単なる自然と人間の共生を言いたいのではない。
あらゆる対立関係に対して、「共に生きること」を伝えたいのだ。

人間関係の中でも、喧嘩したりとかで対立することはある。
作中ではそれが戦争となって現れているが。
対立するのはある意味自然なことであり、対立することは悪いことではない。
ただ、生に向かう対立なのか、死に向かう対立なのかによって変わる。

対立することと向き合い、生に向かう対立に向かうことこそが、「共に生きること」なのだ。

……と私は解釈した。

「アシタカとサン」という曲に、歌詞がついたバージョンもありそこからもそのメッセージが垣間見える。

はるか彼方に ねむる人よ
瞳とじればひろがる あの日のやさしい声

永遠の光が 土にかえるように
大地の ゆるしが とどくまで

しんじて ともに生きること
そして 生まれるつよさ

みあげて 遠くはなれても
心をひとつにむすぶ愛 希望のそら

これも神曲。
久石譲の曲全部神曲。

久石譲自体が神なのではという錯覚に陥る。

もののけ姫に対する考察もいろいろされていておもしろい。
特に好きな考察は下のやつ。

是非読んでみて。

次はナウシカを見ようかな!

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