5/4②「概念としての『ツボ』に興味を感じる」
容れ物としての「壺」。身体の「ツボ」。笑いの「ツボ」。同じ音でも、さまざまな意味のある言葉だが、これらの意味に、何か共通する意味の様なものを探している。
そこに、今の自分にとって大切な概念が眠っている様な気がするのだ。今回はそんなことについて書いていく。
容れ物としての「壺」について多くの人が連想するのは、「骨董品としての希少価値」ではないだろうか。
世の中に流通するさまざまな商品の中で、金になる、つまり利益になる、壺を見つける。すると、それは「掘り出し物」と呼ばれる。
きっとこれまでの人類の市場の中で、たくさんの人が挑んできたことだろう。だが当然、全員が成功するはずがない。なぜなら、数が少ないからこそ、そこに「希少価値」が発生するからだ。
誰にでも見つけられる様なものに、希少価値はない。才能ある商人は、人と違うところに目をつけ、「発掘」し、それを売ることで大金を得るのだろう。
身体のツボというと、まず思い浮かべるのが、足ツボだ。「反射区」と呼ばれる、身体の各部位に対応した、足の部分を押すと、身体の悪い部分がわかったり、良くなったりする、ということらしい。
あらゆる身体の部位についての情報が、足に詰まっている、ということになる。そして、問題に応じて、適当な場所が、「ツボ」と呼ばれる。
反射区という呼び方も興味深い。交通ミラーの様に、鏡の反射によって、本来見えるはずのなかったところまで見通せる様になることがある。足ツボについても、本来検査できない部位を、直接触れることのできる足の「反射」によって確認しよう、ということだろうか。
最後に笑いのツボについて。
これについて考えるにあたって、「そもそも人はどういう時に笑うのだろうか」という疑問に当たる。
嬉しかったり、楽しかったり、恥ずかしかったり。あるいは、絶望でどうしようもなかったり。笑いが起因する感情は様々で、考えがまとまらない。
だけれど、「笑いのツボ」という言葉がある様に、それはきっと個人差はあるものの、人によってある程度決まっているもの、なのではないだろうか、と思う。
その人が、面白みを感じさせられる、そのクセ、それがその人にとっての「笑いのツボ」なのだと思う。
さて、三つのツボについてそれぞれ思うことを書いてきた。ここで差し当たりの結論を書かねばならない。
残念ながら、これらの三つのツボに共通する意味の様なものは、いまいち見つけ出せなかった。
だから、これらを複合させたものとしての、ツボの意味を、最後にまとめてみる。
ツボとは、自分と世界の適当な所を見つけることで、その精度を高めることによって、それまで見えないかった所が見通せる様になる。
【問いで遊ぶ】
・ツボは真実か?
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