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「天才はあきらめた」第1章〜3章を読んで


本の選び方というのが最近今までと変わってきているのを感じる。以前は、「役に立つか」「権威があるものか」というような基準で本を選ぼうとしていた(現にAmazonのほしい物リストにあるのもそんな基準の本ばかり)が、最近は純粋に自分の興味の赴くままに本を選ぶようになってきている気がする。


そんな流れの中で、本屋で手に取ったのがこの本だった。前に読んだハライチの岩井の本が面白かったという事情もあるかもしれない。芸人は、一般人とは違う経験や世界観を持っているように見えて、興味が惹かれる。


テレビで見ていた時からなんとなく感じていたことだが、この本の作者の山里は自意識の強くめんどくさそうな、言ってしまえばキモチワルイ男に見える。そして本を読み進めているうちに、ある人に似ていることに気がついた。俺の父親だ。


嫉妬やモテたいという不純な気持ちを燃料に、進んできたというようなことが書かれていたが、これは俺が自分の父親に抱いているイメージと重なるところがある。あの人も、コンプレックスが強く、自分の弱みを人に知られてはいけない、というようなモチベーションで無理をして「頑張って」いるように見える。

そんなことを考えながらこの本を読んでいるうちに、なんだか腹が立ってきた。この本の中で山里は何度か自分のことをクズであると自虐するが、俺もそう思う。プライドのために自分を守ることばかりを考え、そのために暴君になったり甘やかしたりする姿はまさにクズそのもののように見える。そもそも「クズ」ってなんだろう、というような興味も湧いてきた。


タイトルにもある通り、この人は「天才」への憧れがあるようだ。だが、この人は周りからの「天才」のイメージを獲得するために、必死に計画を立て、努力する。その姿は、自分でも自虐していた通り、まるで天才ではない。

「すべてはモテるためである」という本を思い出した。モテるのは、爽やかなバカと賢い人、だけであり、バカと臆病は決してモテないという理論があったが、この理論でいうところの、「臆病なのにバカのふりをしている」「考えすぎて臆病」あたりを、この人は行ったり来たりしているように見える。


ところが、この人は現在でもそれなりに有名っぽいし、この自伝を読んでいるとなんだかんだ周りにはいつも人がいることがわかる。これはなんでなんだろうか。自分でも、周りに恵まれている、と言っていた。これはつまり、「モテている」ことにはならないだろうか。なんだかこの辺も結構気になるテーマだ。


この人は関大?辺りの有名大学に受かっているらしい。勉強はそれなりにできる人のようだし、これだけの文章が書ける、というのも、やっぱり学んでいる人なんだろうと感じる。そういえば、「勉強の哲学」というような本があったのを、ふと思い出した。高校の時にも感じたことだが、勉強熱心な人というのは、わかりやすく勘違いしているバカはあまりいないが、臆病傾向の強いキモチワルイ人が多いように感じる。

だけどやっぱりこの人の教養は本物だと思うし、その教養は芸やユーモアにも活かされているように見える。最近、ユーモアというのは、傷を癒すものなのかもしれない、と思う。この人も始点で傷つきやすい、という資質を持っていたからこそ、芸人として成功することができたのかもしれない、と感じる。

だけれどやっぱり、この人のことは好きになれない。憎たらしい。そして、この人と組んだことで潰れていった人間がいることも書かれている。これは、自分と父親との関係とも重なる部分がある。やはり、おかしな奴とは距離を取る、というのは大切だと思うし、少なくとも今の段階では俺はそのことを心がけておいた方がいいな、と考えた。正直者はバカを見る。他人事として読んでいるこの本は面白いが、実際にこんな奴が現れたら深く関わるのはゴメンだ。


後半を読んで感じたことも多分書く。



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