日常の中に、非日常は身近にある
毎日noteを書きながら、人が書いたnoteも読んでいます。書き方の勉強になりますし、テーマ設定や表現力、自分の役に立つかどうか、それが人の役に立てるかどうか、そんな事を考えながら読んでいます。
今日はカイゾウさんの「日常と非日常」について書かれたnoteを読んで、改めて自分のことが分かるようになりました。ありがとうございます。
本人がその気にならなければ、高齢者に非日常は生まれない
高齢者にとっての「日常と非日常」という切り替えを自分から作ることは難しいように思えます。よほどポジティブな人生を歩んでいる高齢者なら別ですが、介護が必要な人が自ら進んで非日常を選択することは、おそらくないと思われます。
カイゾウさんの提案として、高齢者が通所サービス(デイサービス)へ行くことも、非日常であると言われています。まったくその通りだと思います。
家で毎日同じことの繰り返しをしているのなら、どこかへ出かけることが非日常になります。その行く場所が、通所サービスであれば、いろんなイベントもあり、楽しませてくれる演出が待っています。
ただ、行くことが良いと分かっていても、本人が承諾しないと行くことはありません。とくに男性は拒む人が多いと聞きます。家でゴロゴロしていては体は弱っていきますから、家族が見かねてなんとかしたいと思うわけです。ところが本人にその気がなければ、どこへも行きません。だから非日常が生まれることは、難しいわけです。
身近なところに非日常は存在する
非日常の代表格と言えば「旅行」と言われる人が多いことと思います。でももっと身近で手っ取り早い非日常があることにお気付きでしょうか?
映画、ドラマ、音楽、小説、絵画などから、感動することです。
私は、このような作品や芸術が、非日常へと連れて行ってくれると考えています。「映画を観て感動した」ということはきっと誰にもあるはずです。その瞬間は、頭の中が非日常空間へ移動していたはずです。
体はその場に居ながら、脳だけ非日常化することは簡単なことです。
ところが悲しいことに、大人になって慌ただしい生活を送っていると、いつの間にかそんなことを忘れています。ですから、若い頃からこのような作品や芸術に慣れ親み続けておくことが大事だと私は考えます。
先ほど来られた82歳の女性に「精神年齢は何歳くらいの感覚ですか?」と尋ねると「75歳くらい」と答えられました。とても残念です。「私は実年齢61歳ですが、精神年齢は20歳ですよ」と言ったら驚いてられました。
頭の中は自由です。何歳でもいいんです。若ければ若いほど、精神的に若さを保つことに役立つはずです。ただ、言葉や行動も20歳では困ります。それなりに歳を重ねながらも、頭の中の若さを保つことは、自分次第でどうにでもなります。
無邪気な大人を目指したい
「無邪気」という言葉だけを聞くと、子どもを連想されると思いますが、まったくそんなことありません。世の中には無邪気な大人はたくさんいます。芸人さんなんて、その典型ではないでしょうか。アインシュタインは研究ノートの端にダジャレをいっぱい書いていたと言われています。無邪気じゃないですか! 私は天才にも秀才にもなれません。もちろん芸人にもなれませんが、無邪気な心を持った大人になることは可能だと信じています。