あなたは「無謀な経験」をしたことがありますか?
本日10/6のNHK連続テレビ小説「ブギウギ」はご覧になられたでしょうか? 主人公の鈴子が歌劇団の試験を受けようと行きますが、「試験は昨日だった」と言われます。そこをなんとか試験してほしいと頼み込むシーンがありました。「一曲だけでも歌わせてほしい」と母娘一緒になって頭を下げます。その熱意が認められ「一曲だけやで」と、事務所で歌う許可を得ます。その歌声を聴き「ええんちゃうか!」と、その場で合格してしまいました。
無謀です!
あり得ません!
ドラマだからそんな展開できるんや!
多くの人がそう思ったことでしょう。
あんな無謀なことは珍しいとして、あなたはこれまでの人生で「無謀だな」と思うような経験をされたことはありますか?
無謀な経験は人生の幅と深みを作る
若い時に無謀な経験をすると、「なんとかなる精神が養われる」と私は思います。「なんとかなる」という言葉は、無神経で他人ごとで、軽くていい加減に聞こえることがあります。
無謀な行動のできる人は、壁を乗り越える熱意を持っていると思いませんか? 障害なんてへっちゃらで、どんどん突き進んで行きそうですよね。まさに、主人公の鈴子にはそんな得体の知れないパワーがありますよね。
熱意と言えば、若さ。パワーと言えば、若さ。無謀も若さ。すべて、若さの象徴のような言葉です。高齢になっても、若さを感じる人は、熱意も感じませんか?
「無理」「無茶」「無謀」の違い、分かりますか?
私がこの三つの言葉の違いを知ったのは22歳のときでした。
「無理はしてもいいけど、無茶したらダメですよ。無謀なことはやめておきなさい。」こう言われたものです。
無理<無茶<無謀
こんな図式が成り立ちます。
無謀なことなんて、若さゆえ、知識や常識の無さゆえ、できることかもしれません。逆に言えば、無謀なことは若い時にしかできない、ということかもしれません。
無理して頑張らなければならない時がある
仕事や家事は、無理してでも頑張らなければならない時が必ずあります。多少の無茶もすることでしょう。しかし、無謀なことってあまり経験ないと思います。
年が行くごとに、無理することと言えば、健康面くらいでしょう。多少痛みがあっても、無理して出かけたり、好きな趣味に打ち込む人はたくさんいます。
どの程度から無理の領域に入るかは人それぞれです。人から見てもあまり分からないことでしょう。しかし、無茶をしているのは他人から見たらある程度分かることもあると思います。ところが、本人は無茶ではなく無理の領域だと思っています。私はこの差に危険を感じることがあります。
確かに無理、無茶をしなければならない場面もあるでしょう。しかし、人生の後半戦であれば、そんなに無理・無茶しなくてもやっていけることも多いですよ。ちょっと考え方を変えるだけで、無理せずもっと楽な道が見つかるかもしれません。