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歳が行くと不安要素が増えます。でもその不安って、なくなるものなのでしょうか? どこまでいってもなくならないのなら、「考えたってしょうがないこと」と、いうことになりますよね。じゃあ、気楽にいきましょうよ!

和田秀樹先生はこのように言われます。

あなたも50歳を過ぎたら、自分の好きなことをやりましょう。やりたいことをやると、毎日が充実します。60歳を過ぎたら、もっとやりたいことをやればいい。きっと、楽しいと思える日々が多くなり、周りから「顔つきがやさしくなった」といわれることでしょう。70歳を過ぎたら、楽しい日々を謳歌しましょう。きっと、「いつも機嫌がいいね」といわれることでしょう。

「好きなこと」「やりたいこと」がない、と言われる人が以外に少なくありません。平日の昼間、イオンへ行けば、ボ~っと座っている人がいます。何をするわけでもなく、時間が過ぎるのを待っているだけ。隣に座ってお喋りしてみたことがあります。「定年後、何もすることがない」と言われました。年配の女性に至っては「やりたいことなんて、あったことない」と言われました。さて、どうしましょう?

私はやりたいことや好きなことがたくさんありすぎるくらいなので、やることがないと言われると、むしろ困ります(笑) 「ない」と言われる人は、どんな人生を送られてきたのか、とても不思議です。

ここからは私の勝手な想像です。「ない」人は、おそらく、真面目な人だと思います。そして、サラリーマンでそれなりの役職を経験した人です。万年平社員ではないはず。責任感が強く、仕事一筋に頑張った人。学生時代から成績もよく、落ちこぼれではありません。社会的にも信頼が厚く、何不自由なく生きてきた人。嘘がつけない人。女性であれば、家事育児、主人のお世話、あるいは両親の介護など、日々追われることばかりで、自分の時間なんて持ったことがないのでしょう。

だいたいそんな感じだと思います。しかし裏を返せば、面白くない人、つまらない人、という見方もできますが、しょうがないと言えばしょうがないのです。

結局、「趣味がない」「好奇心が薄い」ということなので、「遊び」がないということになるでしょう。この場合の遊びというのは、文字通りの遊びでもあるし、融通がきくという意味での遊びも含まれます。

なぜ興味が起こらないのか?
なぜ好奇心に揺さぶられないのか?

それは、そのような感情になることが許されなかったからではないでしょうか? いろんな事情があって、お金が自由に使えない、時間がない、などの制約もあるだろうし、「趣味=道楽」と勘違いされることもあるくらいです。またそういう時代を生きてこられたのでしょう。

もう自分の思い通りに生きていいんですよ。今は自由なのですから、自分の気持ちに素直になっていいと思います。

それにアンテナがないんじゃないかと私は考えます。「ピンとくるアンテナ」です。きっと人生の途中に置き忘れたか、立て忘れたか、あるいは折れてしまったのか・・・。いずれにしても今から立て直すことができるはずだと私は思います。そのために必要な三原則。

「なぜ」という疑問を持つこと
「もっと」という欲を出すこと
「さらに」という追求をすること

この三原則の気持ちを持ってみてはいかがでしょう? おそらく仕事や家事では、このような気持ちを持っていたはずです。それを現状の生活や身の回りのものに目を向けてみると、きっと気づくことがあるはずなのです。昔と違っていることがたくさんありますよ。

「食べることしか興味がない」と言われる人もあります。ある意味悲しいかもしれませんが、ひとつあるんですから、そこからあと一歩、追求してみてはいかがでしょう? ただ食べることだけではなく、食材にこだわるとか、調理方法を凝ってみるとか、ひとつのジャンルに特化してみるとか。そんなところから「その道の専門家」になっていくのではないでしょうか?

「探究心」があれば、人生どんどん楽しくなるはずです。いま私はこのnoteという世界で探究心に燃えています。「お変わりありませんか?」と聞かれて「変わりありません」と私は答えたくないです。「日々進化し続けています」と答えたいと思います。

サポートしたいと思われるくらいまで頑張って書きますので、今はシェアかコメントをいただけると嬉しいです。よろしくお願いします。