見出し画像

【別件】『遺教経』について(2/3)【書道以外】

◎書道とは無関係の記事です◎

仏教のお経『ゆいきょうぎょう』の2回目です。

書道とは全く関係ありませんが、ご興味があればご覧ください。

1回目はこちらです。

※タイトル画像「フリー仏教イラスト素材 ほとけの素材


はじめに

このnoteではお経を1文ずつ記し、難しい語句があればその意味を添えました。

経文は書籍 安藤嘉則(2021)『改訂版 遺教経に学ぶ』曹洞宗宗務庁 のp191~201を、
語句の意味はこの本および下記のwebサイト(現代語訳あり)、ネット検索結果などを参考にしました。

『仏垂般涅槃略説教誡経(仏遺教経)』 ① ―仏陀、最期の教え ‖ VIVEKA. For All Buddhist Studies

お経の全体の流れ

  1. 序文

  2. お釈迦様の言葉①(波羅提木叉はらだいもくしゃについて)

  3. お釈迦様の言葉②(八大人覚はちだいにんがくについて)

  4. お釈迦様の言葉③(念押し)

  5. お釈迦様の言葉④(四諦したいについて問い)

  6. 弟子阿㝹楼駄あぬるだの回答

  7. お釈迦様の言葉⑤(最後に)

前回が「2. お釈迦様の言葉①(波羅提木叉はらだいもくしゃについて)」まででしたので、今回は「3. お釈迦様の言葉②(八大人覚はちだいにんがくについて)」です。

なお、見出しは私が勝手につけたもので、お経にはありません。
八大人覚はちだいにんがく」という言葉はお経の中には出てきませんが、今回記す8つの教えをこう呼ぶようです。

3. お釈迦様の言葉②(八大人覚はちだいにんがくについて)

少欲しょうよく

汝達比丘なんだちびくまさに知るべし、多欲たよくの人は利を求むること多きが故に苦悩もた多し。

少欲しょうよくの人は無求むぐ無欲むよくなれば則ち此のうれい無し、直爾ただちに少欲すらまさ修習しゅじゅうすべし、いかいわんや、少欲のもろもろ功徳くどくを生ずるをや。
  【況んや~をや】まして~はなおさらだ

少欲の人は則ち諂曲てんごくしてもって人のこころを求むること無し。
  【諂曲】他人にこびへつらうこと

亦復また諸根しょこんめにひかれず。
  【諸根】もろもろの感覚器官(五根)
  【牽れず】心を囚われることがない

少欲を行ずる者は、こころ則ち坦燃たんねんとして憂畏ういする所無し。
  【坦燃】落ち着いている様子
  【憂畏】憂いや恐れ

事に触れて余り有り、常に足らざること無し。
  【事に触れて余り有り】何事につけてゆとりがあり

少欲ある者は則ち涅槃ねはんあり。

是を少欲しょうよくと名づく。


知足ちそく

汝達比丘なんだちびくもろもろの苦悩を脱せんと欲せば、まさ知足ちそくかんずべし。
  【観ず】よく観る

知足の法は則ち是れ富楽ふらく安穏あんのんところなり。
  【富楽安穏】豊かで楽しく心安らかな境地
  【処】よりどころ

知足の人は地上にすといえども、お安楽なりとす。
  【雖も】~だとしても

不知足ふちそくの者は、天堂てんどうしょすといえども、こころかなわず。
  【天堂に所す】天界の御殿に住む
  【意に称わず】満足しない

不知足の者は富めりといえども、しかも貧しし。

知足の人は貧しといえどしかも富めり。

不知足の者は常に五欲ごよくめにかれて、知足の者のめに憐愍れんみんせらる、是れを知足ちそくと名づく。
  【憐愍】憐れむ


遠離おんり

汝達比丘なんだちびく寂静じゃくじょう無為むいの安楽を求めんと欲せば、まさ憒閙かいにょうを離れて独所どくしょ閑居げんごすべし。
  【寂静無為】煩悩が静まった悟りの境地
  【憒閙】喧噪
  【独所に閑居す】独りで閑静な所に住む

静処じょうしょの人は、帝釈たいしゃく諸天しょてんとも敬重きょうじゅうする所なり。
  【静処の人】静かな所で修行する人
  【帝釈諸天】帝釈天やもろもろの神々
  【敬重】敬い重んじる

是の故にまさ己衆こしゅ他衆たしゅを捨てて、空閑くうげん独処どくしょして、滅苦めっくほんを思うべし。
  【己衆他衆】様々な人々との関わり
  【空閑に独処し】ひっそりと静かな地に独り住み
  【滅苦】苦を滅すること

しゅねごう者は則ち衆悩しゅのうく、たとえば大樹のしゅちょう之に集まれば、則ち枯折こせつうれいあるが如し。
  【衆悩】人々との関わりで生じる悩み

世間の縛著ばくじゃくしゅに没す。
  【縛著】束縛、執着
  【衆苦】人々との関わりで生じる苦しみ

たとえば老象ろうぞうでいに溺れて、自らずることあたわざるが如し。

是を遠離おんりと名づく。


精進しょうじん

汝達比丘なんだちびくつとめて精進すれば、則ち事としてかたき者なし。
  【事として難き者なし】何事に対しても困難であるということはない

是の故に汝達まさつとめて精進すべし。

たとえば少水しょうすいの常に流れて、則ちく石を穿うがつが如し。

行者ぎょうじゃこころ数々しばしば懈廃げはいすれば、たとえば火をるにいまだ熱からずしてしかめば、火を得んと欲すといえども、火を得べきことがたきが如し。
  【懈廃】怠けること
  【火を鑚る】火を起こそうとする
  【息めば】止めたならば

是を精進しょうじんと名づく。


不忘念ふもうねん

汝達比丘なんだちびくぜん知識ちしきを求めぜん護助ごじょを求むることは、不忘念ふもうねんくは無し。
  【善知識】優れた師友
  【善護助】よき手助け
  【念】対象に価値判断を加えず注意を払うこと
  【如くは】勝るものは

し不忘念ある者は、もろもろの煩悩の賊、則ちることあたわず。

是の故に汝達常にまさに念をおさめてむねくべし。
  【摂めて】取り入れて

し念を失する者は則ちもろもろ功徳くどくを失す。

念力ねんりき堅強けんごうなれば、五欲の賊の中にるといえども、めに害せられず。

たとえばよろいを着て陣にれば、則ちおそるる所なきが如し。

是を不忘念ふもうねんと名づく。


禅定ぜんじょう

汝達比丘なんだちびくし念をおさむる者はこころ則ちじょうり。
  【定】深く集中した心の状態

こころじょうるが故にく世間生滅しょうめつ法相ほっそうを知る。
  【生滅の法相】生まれ死ぬ万象のありさま

是の故に汝達常にまさに精進して、もろもろじょう修習しゅじゅうすべし。

じょうる者はこころ則ちさんぜず。

たとえば水をおしめる家の、堤塘ていとうするが如し。
  【堤塘】堤、堤防

行者ぎょうじゃしかなり、智慧ちえの水の為めの故に、く禅定をしゅして漏失ろうしつせざらしむ。
  【爾なり】同様である

是を名づけてじょうす。


智慧ちえ

汝達比丘なんだちびく智慧ちえあれば則ち貪著とんじゃくなし。
  【貪著】むさぼり執着すること

常に自ら省察しょうさつしてしつあらしめざれ。
  【省察】反省し洞察すること

是れ則ち我が法中ほうちゅうに於てく解脱を
  【法中】教えの中

しからざる者は、既に道人どうにんあらず、又た白衣びゃくえあらず、名づくる所なし。
  【道人】出家した修行者
  【白衣】在家の人

実智慧じつちえの者は、則ち是れろうびょうかいわた堅牢けんろうの船なり、た是れ無明むみょう黒暗こくあん大灯明だいとうみょうなり、一切いっさい病者びょうしゃ良薬りょうやくなり、煩悩のるの利斧りふなり、是の故に汝達、まさもんしゅを以て、しかも自ら増益ぞうやくすべし。
  【実智慧】真実の智慧
  【老病死海】老・病・死という苦海
  【利斧】鋭利な斧
  【聞思修の慧】聞法もんぼう(教えを聴く)・思惟しゆい(深く考える)・修行によって獲得した智慧
  【増益】向上

ひと智慧のしょうあれば、是れ肉眼にくげんなりといえども、しかも是れ明見みょうけんの人なり。
  【智慧の照あれば】智慧によって照らし見るならば
  【肉眼】肉眼
  【明見】真理を見ること

是れを智慧ちえと名づく。


不戯論ふけろん

汝達比丘なんだちびく種種しゅじゅ戯論けろんは、こころ則ちみだる。
  【戯論】無意味な議論

た出家すといえども、いま得脱とくだつせず。

是の故に比丘まさすみやか乱心らんしん戯論けろん捨離しゃりすべし。

し汝寂滅じゃくめつらくを得んと欲せば、ただまさ戯論けろんとがめっすべし。
  【寂滅】煩悩から離れた悟りの境地

是れを不戯論ふけろんと名づく。


<今回のまとめと補足>

まとめ

今回記したお経の中から要点を抜き出しました。

少欲しょうよくの人は無求むぐ無欲むよくなれば則ち此のうれい無し
(欲の少ない人は求め欲することがないので、(多欲の人のような)悩みがない(少欲))

知足ちそくの法は則ち是れ富楽ふらく安穏あんのんところなり
(足るを知る教えから、豊かで楽しく心安らかな境地が生まれる(知足))

寂静じゃくじょう無為むいの安楽を求めんと欲せば、まさ憒閙かいにょうを離れて独所どくしょ閑居げんごすべし
(煩悩が静まった悟りの境地の安らぎを求めるならば、喧噪を離れ独りで閑静な所に住みなさい(遠離))

つとめて精進すれば、則ち事としてかたき者なし
(修行に勤め励むならば、何事に対しても困難であるということはない(精進))

不忘念ふもうねんある者は、もろもろの煩悩の賊、則ちることあたわず
(対象に価値判断を加えず注意を払うことを忘れない者は、もろもろの煩悩に囚われない(不忘念))

じょうる者はこころ則ちさんぜず
(瞑想を修めたならば心が乱れることはない(定))

智慧ちえあれば則ち貪著とんじゃくなし。…もんしゅを以て、しかも自ら増益ぞうやくすべし
(智慧があれば、むさぼり執着することはない。…聞法もんぼう(教えを聴く)・思惟しゆい(深く考える)・修行によって獲得した智慧をもって自らを向上させなさい(智慧))

種種しゅじゅ戯論けろんは、こころ則ちみだ
(いろいろな無意味な議論をしたならば、その心は乱れる(不戯論))


補足

『遺教経』は多くの仏典を漢訳した鳩摩羅什くまらじゅうの訳と伝えられていますが、翻訳元の経典がわかっていないそうです。

今回の8つの教えは、下記PDFで紹介されているもの(増支部八集『アヌルッダ大尋思経』)と似ているようなのでご参考まで。
(2008年発行の刊行物、著者は前回と同じくアルボムッレ・スマナサーラ氏、表紙などを含め全123ページ)

偉大なる人の思考 - 日本テーラワーダ仏教協会
https://j-theravada.com/wp-content/uploads/2018/12/maha_purisa_vitakka_web.pdf

一部抜粋します(【】内は私が加えました)。

『偉大なる人の思考』
増支部経典アヌルッダ経(Axguttara-nikqya iv228-235)より抜粋
1. この法(仏道)は少欲[※1]の人のものであり、多欲[※2]の人のものではない。
2. この法は足りることを知る人のものであり、不満な人のものではない。
3. この法は遠離(独人)を喜ぶ人のものであり、衆会を楽しむ人のものではない。
4. この法は精進する人のものであり、怠け者のものではない。
5. この法はよく気づく人のものであり、愚か者のものではない。
6. この法は心を統一した人のものであり、心を混乱している人のものではない。
7. この法は智慧のある人のものであり、無知な人のものではない。
8. この法は無為(現象を乗り越えた真理・涅槃)を喜ぶ、無為を楽しむ人のものであり、有為(現象、妄想の世界)を喜ぶ、有為を楽しむ人のものではない。
※1)自分に優れた徳・能力があるにもかかわらず、他人に知られることを望まない謙虚な生き方。
※2)わずかな徳・能力でも派手に宣伝して利益を求める生き方。
---------------------------------------------------------------
お釈迦様がこの経典を語ることになったのは、こんないきさつからでした。
お釈迦様の義理の兄弟でもあるアヌルッダ尊者がたまたまひとりでいる時に、自分の人生を観察してみました。
自分が王家を出て、今森の中にひとりぼっちで出家生活をしています。しかしなんの悔いも苦しみもない。宮殿の贅沢がなにひとつもないのに、けたちがいの安らぎと喜びを感じている。
(略)
そこで、アヌルッダ大阿羅漢は「自分の思考と俗世間の思考は何が違いますか」と考えてみました。
すると七つの項目が思い浮かびました。
それをお釈迦様に報告したところ、お釈迦様は「すばらしい」とおっしゃって、それを認めました。
そしてさらに、偉大なる人の七種類の思考にお釈迦様がもうひとつの思考を足しました。
その後、お釈迦様が『偉大なる人の思考』というタイトルでこの八つの項目を紹介して、説法したのです。
(略)
この八つの項目に、「仏教とは何か」がコンパクトに語られているのです。
---------------------------------------------------------------
第一章 Appiccha 少欲
俗世間では、「ああ、少欲というのは欲の少ないことでしょ」と思ってしまいますが、(略)お釈迦様の「少欲」の定義は、「自分がどれほど精神的にすぐれていても、それを他人に知られることを欲しない」ということなのです。
(略)
ひそかに自分のこころを育てる。ひそかに清らかなこころを作る。みんなに認めてほしいという気持ちで修行しても、こころは成長しないのです。

第二章 Santutthi 満足【後ろの2つの「t」の下に点】
満足するというのは、ものの必要最小限で「もう充分だ」と満足することです。
(略)
カップラーメンひとつだけあっても、仏陀の説かれた必要最小限を思い出して食べるから、「今日はもう充分食べました」という気分になるのです。(略)仏教の人々の喜び・幸福を壊すことは誰にもできません。(略)しっかりと安定した喜び、揺るぎない喜びが感じられます。

第三章 Pavivitta 遠離
pavivitta(パヴィヴィッタ)とは「あれこれと束縛がない」という意味です。
(略)
ポイントは、誰にも依存しないことです。人がいないと寂しいとは、決して思わないことです。人々がいると楽しいとも、決して思わないことです。人がいてもいなくても、こころには揺るぎない安らぎがあるのです。

第四章 Araddhaviriya 精進【「A」の上に横棒】
生命というのはおもしろいことに、本来は「怠けもの」なのです。私たちはいろいろ頑張ってはいるのだけれど、それは怠けるために頑張っているのです。
(略)
みな、今苦労すればあとで楽をできると思っている。
(略)
楽しみが先にあるのだと夢を膨らませることをやめて、日々、有効的に努力することを楽しめばいいのです。そうするならば、先ではなく、今からずっと楽しいのです。その生き方に邪魔をするのは、こころに住み着いている怠けなのです。
仏教は俗世間と違って怠けない世界です。怠けないならば、矛盾が消えます。「どうすれば楽になるのか」ではなくて、「怠けを消しましょう」と説くのです。

第五章 Sati 気づき
「サティ(sati)」とは気づくこと。
(略)
仏道を歩む人は、解脱に達する、苦しみを乗り越える、煩悩をなくす、という目的があって、その目的に達するために生きているのです。世間とは違って、何をしてでも生きることが目的、ということではないのです。
ですから、感情に引きずりまわされては困るのです。刺激を求める生き方は、本道から脱線したことになるのです。解脱に達する道から脱線しないように、感情に引かれて回り道を歩んで迷子にならないように、瞬間瞬間の自分の生き方に注意しておかなくてはならないのです。
何をしても、そのおこなうことにしっかりと気づいていることが、仏道を歩む人々の生き方なのです。

第六章 Samadhi サマーディ【2つ目の「a」の上に横棒】
「サマーディ」というのは、今おこなっていることに喜びを伴った徹底した集中力があることです。(略)これは俗世間ではほとんど経験できないことでしょう。
(略)
最初の禅定である第一禅定さえも、俗世間では経験できないのです。第一禅定とは、(略)思考は機能しているが、あるひとつのことに集中している。それから、身体中、強烈な充実感と喜びを感じる。
(略)
こころを集中するということは、私たちに想像できない様々な能力をすべて開発することでもあります。
五番目の項目で説明した「気づき(サティ)」を実践すると、サマーディという精神状態におのずと進むのです。突然、統一状態を作ろうと思っても、成り立たないのです。

第七章 Panna 智慧【「n」の上に「~」、最後の「a」の上に横棒】
一切の現象は一時的であって変わるものであって安定しないものである、ということです。(無常
一切の現象は一時的であるならば、これ、という絶対的な変わらないものは、どう調べても発見できない、またそれは成り立たない、と発見するはずです。(無我
この発見から、自分とは何か、と観るならば、瞬間瞬間変化している現象の流れに過ぎないのだと、見えてくる。生きることの上で、幸福、楽しみなどはあり得ない。命をつないでおくことはそれだけでも、たいへん苦しい作業です。たとえつないでおいても、一時的な現象なので、どこまでやるのか、というあきらめも生じる。どこまで頑張っても、同じ結果なのです。ですから、生きることはゴールのないマラソンに見えるのです(
なぜ一切の現象は不安定で瞬間瞬間変化するのかと、その原因を観たら、いとも簡単に発見できる。(略)すべては様々な原因によって現れたので一時的なのだと、そしてその原因がつぶれたら、その現象もあとかたもなく消えるのだと発見できる。現われて消える、ということだけは、限りなく続くのです。なぜならば、何かの現象が消えたこと自体も、その他の現象が現れる原因になるからです。(略)「一切のものごとは原因によって現れて原因によって消えるものである」と、普遍的な真理を理解すれば充分なのです。(因縁論
智慧というのは、そんなところです。

第八章 Nippapanca パパンチャを破る【2つ目の「n」の上に「~」】
「パパンチャ(papanca)」というのは、わかりやすく言えば、私たちは眼耳鼻舌身意の六処に入るデータを好き勝手に捏造する、そうして自分だけに限った世界を作るということです。(略)私たちは常に、自分だけに限られた主観の世界で生きている。
(略)
私たちは皆、「自分が知っている世界が正しい。他人が知っている世界は間違っている」と思っているのです。
(略)
自分の思考に閉じ込められて、怒り、憎しみ、嫉妬、あらゆるこころの汚れを作って、争い、戦いなどの絶えない生き方をしているのです。
「ニッパパンチャ(nippapanca)」というのは、その苦しみにまみれた幻覚を破った境地なのです。捏造を破って真理に達した境地なのです。わかりやすく言えば、それがお釈迦様の説かれている「解脱、涅槃」という目的に達した人の境地です。
---------------------------------------------------------------
この八項目をよく覚えておくと、しっかりと仏陀の道を歩む勇気が湧いてきます。精神的に独立できます。
(略)
世間の誘惑に負けず、犀の角のごとくまっすぐに歩むための激励でもあります。

『偉大なる人の思考』

今回は以上です。

(次回へ続く)