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斧をなくした男、疑いの心から暗やみに鬼を見る - 列子

斧(おの)をなくしたある男がいた。(盗んだのは)隣りの息子じゃないかと疑った。すると、その子の歩きっぷりを見ても、いかにも斧を盗んだように見える。顔いろを見ても斧をぬすんだように見える。言葉づかいを見ても斧をぬすんだように見える。

その動作(ふるまい)や態度(そぶり)、なすことすること一つとして斧をぬすんだように見えないものはない。

ところが、たまたま自分の家の窪地(くぼち)を掘り起こしていたら、なくしたその斧が出てきた。後日また隣の家の息子を見ても、その動作や態度に、斧をぬすんだらしく思われるふしは、なに一つとしてなかった。

列子(下)    岩波文庫

【龍成メモ】

疑心暗鬼の話にそっくりと思った人も多いと思います。実はこの列子の話が疑心暗鬼の語源になっています。

正確には、列子自体に書かれているわけではなく、南宋時代に書かれた「列子」の注釈書、「列子斎口義―説符」の中に『諺に曰く、疑心、暗鬼を生しょうず、と(諺曰、 疑心生暗鬼也)』とあるのが元です。

列子には他にも、「夢か現実かの区別がつかなくなった」ことがきっかけで窃盗が起き、それが裁判まで発展する話や、「お金を稼ぐことにやっきになっていた経営者」が部下を酷使し、そして自分自身の精神もすり減らし疲れ切った末に改心し、部下の仕事の負荷を減らすことで自らの気苦労も軽減されるみたい話もあります。

このような現代にも通じる話が、はるか昔に書かれていたかと思うと驚きです(魏晋以降に書かれたという説もあります)。

Photo by Bru-nO

#疑心暗鬼 #中国古典 #列子 #心理学

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龍成(りょうせい)
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