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【#14アルメニア】驚くべき告白
ジョージアからアルメニアの首都エレバンへはマイクロバスで向かった。バスには俺の他にオーストラリア人の若者3人とアルメニア人の高齢女性の計5人が乗っていた。
オーストラリア人のグループは俺が日本人と見るや「俺たちは日本のゲームが大好きだ!」と興奮し、クラッシュバンディクーやポケモンをこれだけ違法ダウンロードしていると自慢してきた。複雑な心境。
アルメニア人女性は、息子か娘の家に今から行くといった様子で、大荷物を持っていた。乗って早々、英語が話せないのかアルメニア語で話しかけてきた。アゼルバイジャンでもそうだったけど、こういうとき「なんで俺が無条件で話せると思うんだろう…?」とは思う。
「エレバン行きのバスで間違いない?」という確認だと思ったので、「エレバン、エレバン!」と返すと安心したようだった。
国境に着き、ジョージアからの出国は簡単に終わったが、問題はアルメニア入国だった。他の4人はすぐに通れたが、俺はアゼルバイジャンに行ったことがあるため、アゼルバイジャンへの渡航理由やアルメニアでのホテル名、WhatsAppの電話番号を聞かれた。
入国審査でここまで時間がかかることが初めてだったし、両国の関係も知っていたので、本当に入国拒否になる可能性もあるなと焦ったが、最後には「アルメニアへようこそ」と言われ、入国のスタンプを押してもらえた。思わずため息が出る。やっぱり入国審査は油断できない。
アルメニアに入国してからは灰色の草原が広がり、日本とは違う光景があった。雨は降り続いており、一部は霧で見えないほどだった。アルメニアに入ってからスーパーで休憩があったとき、後部座席で隣だったのでアルメニア女性が1,000ドラム(約380円)を渡してきた。
何かを買ってきてほしいようだ。ただ、アルメニア語だったので何度聞いたり、ジェスチャーを使っても「何か」がわからない。結局、買い物は諦めることになったが、それからはアメやナッツを両手いっぱいにくれたり、持ってきたパンとチーズ、骨付きチキンを分けてくれたりした。
俺が「美味しい」と伝えると、もっとほしいのかと勘違いされ、慌てる場面もあった。見知らぬ異国の人間に、何もここまでと思うほど面倒見の良い人だった。表情に笑顔はなかったが無愛想ということはなく、親しみを持てる人だった。
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この高齢女性との会話は、非言語でのコミュニケーションがいかに重要か気づかせてくれた。その場の状況や表情、動作で大体のことはわかるもので、言葉を覚えなければ気持ちを伝えられないということはないのだ。
世代も生まれた国も全然違うなかで、分かり合えたと感じる瞬間は得がたく、また、帰国後もふとしたときに思い出す出来事だったりする。
エレバンに着いて感じたことは、渋紫色の建物が多いことだ。数日は、エレバン市内の観光や日帰りで行ける名所を回っていた。
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中でも世界遺産のゲガルド修道院が印象的だった。修道院の一部は岩壁をくり抜いて作られており、周囲の岩肌と一体化したかのようだ。とくに礼拝堂の荘厳な空気は、言葉では言い表せない。特別な場所だった。
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別日にはエチミアジンという、歴史上初めてキリスト教を国教にしたアルメニアにとってゆかりのある街を訪れたあと、エレバン近郊のアルマヴィル地方にあるヤジティ教寺院に行った。
ヤジティ教についての知識は一切なかった。ただ、聞いたことがあるような気がしたので寺院に行けば今後ニュースでヤジティ教が取り上げられたとき、より親近感がわくかなと思った。ヤジティ教は太陽を神として祈り、孔雀天使を信じているらしい。
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寺院は真っ白だった。敷地に入り、寺院に向かって庭を歩いていると、女の子が二人座っているのが見えた。前を通り過ぎるときに挨拶された。寺院では、ヤジティ教徒の一家が祭壇に向かってお辞儀をしてお祈りをしていた。写真撮影をし始めたので、代わりに撮ってあげると、握手を求められた。
さてヤジティ教徒ともコミュニケーションが取れたし、帰るべく引き返しているとさっきの女の子二人組がまだ座っていた。話しかけられそうだなと思いつつ、前を歩くと案の定「お菓子を食べてください」と言われる。
スナックとナッツを食べながら、「この辺に住んでいる」とか「私たちはヤジティ教徒ではない」とか簡単な話をした。「もしよかったら、アルマヴィル周辺を案内します」と提案を受けたので、びっくりしたが、ありがたいと思ってお願いした。
女の子二人組のうち、積極的な方(女の子A)が英語を話すことができ、控えめな方(女の子B)がロシア語を話すことができた。俺はロシア語は知らないから、基本女の子Aと英語で話しながら、女の子Bが何かを言うと女の子Aがそれを通訳して俺に伝えるという形で会話が進んでいった。
澄んだ湖や煉瓦造りの教会に連れて行ってもらう。女の子Aからエレバンにある大学に通っていることやアルメニアという国について話を聞いて、俺もまた旅をしてきたことを話した。とても楽しく話題は尽きなかった。
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教会に着くと近所の子供たちが集まって遊んでいた。女の子Aは子供たちの家庭教師もしているらしく、全員と顔見知りで中には弟もいた。子供たちは人懐っこく物怖じしない。
日本人とわかるや、「カンフーができるか」とポーズを見せてきたりと、テンションが高すぎた。ある子はアルメニア語で何かをずっと熱心に話し続けてきたので、微笑ましかった。
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教会に入ると、祈り方を教えてもらう。女の子Aは、土曜日になると毎週この教会にお祈りに来るらしい。教会の外にはお墓があった。和やかな雰囲気の中、これは「2020年のナゴルノ・カラバフ紛争で亡くなった人々の墓だ」という。
ニュースで報道されていたなと思っていると、さらに、女の子Aから「その紛争で、お兄さんが戦死した」とお墓を示され、絶句した。人間、本当に驚くと言葉が出ない。電撃が走ったように身体が固まる。こんなに溌剌とした女の子に悲劇的な過去があるとは。淡々と話す姿が印象的で、強い女性だなと思ったし、この国では戦争や死が日本より身近にあるんだなと感じた。
そのあと、バス停まで送ってもらって、女の子Aに頬にキスをもらいお別れした。これがアルメニア流の挨拶なのか。帰りに、女の子Aがお勧めしてくれたハシュルマというアルメニア料理を食べて宿に戻った。
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