もうすぐnote一周年なんだって。
だから、どうした、という話でもあるのは百も承知で、すこし書いてみようかな、と思いまして…笑
最初の記事を投稿してから、約一年が経ちます。どんな活動をどれだけしてようが存在さえ残しておけば、一周年は誰のもとにもめぐってきます。別にそれ自体はすごいことでもなんでもなく、ただの時間経過です。とはいえ、他の投稿サイト(創作系という括りで言えば)で活動した経験が無いので、もしかしたら他の場所だったら一ヶ月も続けられなかった可能性だってあるので、どうなっていたか想像することができない以上、ここで良かった、と思うのが精神を安定させる上で一番いいのでしょう。
別に華々しさに満ちているわけでもなければ、実用的に役立つものを提供しているわけでもないですが、どんなひとにだって過去を振り返る権利はある。なので振り返る。駄目とは言わせない。やりたいったら、やりたい~。
厳密にはまだ一年経ってないけれど、ちょっと早めにやっておくのも悪くないでしょう。クリスマスと誕生日の近い人は抱き合わせで祝われたでしょ。記念日なんて、そんなもんです。
ということで、最初の投稿がこちら。
そもそも最初はnoteでブックレビューしかするつもりがありませんでした。他の記事でも書きましたが、当時別の場所で小説のレビュー(主にミステリやSF、ホラーなど)を4、5年ほど書いていたのですが、まったく違うところで書いてみたいという気持ちが出て来て、何の気なしに、noteという街の入り口に足を踏み入れました。前の場所も好きだったのですが、一冊の本にコメント程度の文章を付ける、という形以外でも、書いてみたくなったのです。
一冊ではなく、敢えて短編小説を一篇選んで紹介したり、書店で品切重版未定の小説を紹介したり、と以前の場所ではできなかった形のレビューを加えながら、新刊の紹介をしたりしていました。
筒井康隆のホラー短編を紹介したりとか、
いまだに品切に納得できない本を紹介したりとか、
もちろん新刊の紹介もちゃんとしてましたよ。例えば百合SFアンソロジーの『アステリズムに花束を』とか……えっ、読んでないって、じゃあ今すぐ読め。
あ、後、特にアクセス数やリアクションの数みたいなものへの言及はほとんどしないつもりなので、そういうのが知りたい方のお役には立てないと思います。
そんな中で実は6月に一本、お茶を濁すようにショートショートを上げたのは今でも一時の気の迷いだと思っています。
それがまさかこんなことになる、とは……。
特に最初の頃、私は自分の投稿する小説が嫌いでした。じゃあ何故、投稿していたのか、と聞かれると、それは答えに困ってしまうのですが、すくなくとも愛憎相半ばするような想いは抱いていました。眼高手低な自分に嫌気が差してたのかも。よく分かりません。
まぁとりあえず誰にも見せずの趣味の延長みたいな創作さえ長いことまったく手さえ付けていなかった上での、ひとの目に触れる投稿だったので、緊張はするよね。書き方合っているだろうか……? あれっ、一人称ってこれで大丈夫……? みたいな。
でもたまに小説を投稿してみるのも悪くない。そう思ったのも事実です。
7月になると、西澤保彦作品全作読破を主とした連載レビューを始めますが、現在約20作品をレビューしたまま中断するような形になっています。ただこれに関してはあくまで中断、再開する予定は本気でありますので、待っているひとはいないと思いますが、お待ちください。
そしてこの7月にもうひとつ語らなければいけない投稿があるのです。
なんだかんだでnoteに来て80本くらい小説書いてると思うけれど、その中でもっとも思い出したくない作品を久し振りに読み返していた。正直消したいしんどい苦しい…。何、急に天使とか出してるよ。…でもたとえ笑われようとも無視されようとも、これを恐れつつも投稿した自分だけは褒めてやろう 笑
— サトウ・レン (@RS_hon) May 26, 2020
このツイートを見たひとがどれだけいるかは知りませんが、隠す必要もないのではっきり言うと、この作品です。
「そんなこと言って、意外といいじゃん」という言葉を求めて明かしているわけではないですが、そう思ったなら言ってください。あなたの言葉で、私にこの作品を好きにさせてください、と思うほど、読み返すのがつらかったのです。もちろん自己と他者の評価は別と切り離した上で、すくなくとも私には中々に思い出したくない過去……であると同時に、でも結局は大切な過去であったりもする。
自分の良いと思う部分だけ切り取って提示すれば、自分なりにそれなりに体裁の良い形は繕うことはできるのでしょうが、その繕った自分に納得できないのは結局自分自身なのです。悪い部分、駄目な部分、納得できない部分も含めて、自分。
8月になると書く量がかなり増え、そしてnoteの別の方の記事を楽しみはじめた時期でもあります。
印象に残っているのは、まず「狂宴」という15000字程度のホラー短編。
当初こんな暗くて、ひどく荒っぽい作品を読んでくれるひとなんていないだろう、と思いながら、ほとんど想い出作りも同然に書いた作品なのですが、当時ただひとり読んでくれたひとがいて、なんか嬉しい、というより、衝撃を受けた覚えがあります。その方の名前は上記の記事に書いてあります。つまりそのくらいの衝撃が私にはあって、もうちょっと小説を書いてみようと、そんな気持ちになったのです。
この時期、何を思ったか架空の小説レビューを始めました。今だから言いますが、なんでもいいから文章が書きたくて、これなら気軽にいっぱい書けるのでは、と甘い気持ちではじめたのですが、あんまり続けられずに終わってしまいました。でもたまに、やりたくもなる。
9月は創作がかなり増えてますね。ちょっと自分でもびっくりしてしまったのですが、心境の変化が多少あったのも事実です。
実はこの時期に書いたホラー掌編の「二流には分からない」から始まるちょっとした三部作は、大幅に書き直した上で、連作長編を書こうと思っています。現在私はnoteで一本も長編は書いておらず(一個途中で断念したものはありますが)、最長は「トライアングル」という約23000字程度の中編です。そんなに長編を書きたい欲があったわけではないのですが、もし書くとしたらホラーで書きたい、という気持ちがあり、ただいま練っております 笑
後、こちらの記事は、
自分が本の感想書きであることにこだわった記事なのですが、今自戒のためにも私自身が一番読み返すべき記事なのかもしれません。
10月はムラサキさんや嶋津さん、あきらとさんの企画に参加、色々思うところがあり創作小説をいったん休止、映画のレビューを始めるなど……積極的であることが必ずしも良い、という立場はあまり取りたくないけれど、意識的に積極的だった時期なのは間違いありません。
※「過去からの声」教養のエチュード賞参加作
最近、大幅に書き直しました。
終わりゆく、死が希薄な世界で、生きることについて考えてみました。でも私の根幹はあくまでエンタメだと思っているので、物語性は強めたつもりです。
※「二度死んだ男の記録」眠れぬ夜の奇妙なアンソロジー参加作
死んで人形になった青年がただただつらい思いをするホラー短編。
※「読まないのに、何故、買った?」#本棚をさらし合おう参加作
敢えて読んでいない積読になっている本のタイトルを挙げることで、自身に読むことを強いてみたのですが、どう考えても趣旨外れな話。ごめん。当時初対面だったあきらとさん。許せ。
映画やnote記事のレビューを始めたのも、この時期。好きになって、それを伝えるって、やっぱり一番楽しい作業。
ちなみにサトウ・レンと改名したのも、この時期で別に隠してたわけではないのですが、女性だと勘違いされている率があまりに高く、この改名記事で性別を知った方も多い。でも、とりあえず書いている文章さえ楽しんでもらえれば、どっちと思われようと別に構わない話……と、ちょっと格好つけて言ってみる 笑
11月は「しあわせの歌を口ずさむ」というかなり思い入れを込めた小説を投稿しました。この作品は部分部分でかなり未練を残していたこともあり、その後、大幅に書き直しました。得た評価は本当に嬉しいしありがたい話ですが、あくまでそれは副次的なもので、かつて自分の作品を嫌悪していた人間がこの作品を臆せずに好き、と言えるようになったことが何よりも嬉しかったりします。
※できれば増補版を読んで欲しいのですが、ぜひお好みのほうで。
11月末から書き始めた「トライアングル」は現在でも自分がnote内で書いた作品の中では最長。最初はもっとホラー色強めで書くつもりだったのですが、しっとり(?)とした恋愛小説になってしまいました。
12月は「トライアングル」が完結した後に書いた、「銃は震える」が結構印象に残っている、というか、もっと長くして書き直したいな、と思っている作品。
字数制限があるのに明らかに長くなりそうな作品を見切り発車で書き始めるのは、本当に自分の悪い癖だと思いますが、これはもう性格なので仕方ない。ただこの性格は悪いばかりでもない、とも思う。
後、自分のスタンスをエッセイというか、雑記的に書き始めることも多くなりました。自分自身が陥りやすいからこそ、自戒を込めて書いている部分が多いので、決して特定の誰かを傷付ける意図はありません。
1月に書いたこれもそう。
でもこれに関しては、今読み返すと、うーん、となってしまいます。その時の事情をあまりに絡め過ぎた記事なので、あんまりもう個人的には読み返したくないなぁ、と……。もちろん書いたことに嘘偽りはないつもりで、書いた文章への後悔もありません。
二週間掛けて読んでいたテッド・チャンの『息吹』のレビューを書いたことが1月は一番印象に残っていて、本当に素晴らしい作品なので、みなさんにも読んで欲しいです。SFというフィルターを通してでしか見ることのできない人間の形を描こう(敢えて、描いた、とは書かない)とした作品です。
森とーまさんのSF超大作「ゾンビつかいの弟子」(約20万字)を読み終えて感想を書いたのも、この時期。疑似家族小説、青春小説として印象に残る逸品です。
2月はあまり書かなかった。代わりに、特にnoteの記事を色々と読んでいた覚えがある。ただそんな中で「安寧のない世界にハッピーエンドを!?」という作品は、それこそ眼高手低と言われようと、自分のやりたいことを詰め込みました。好かれる嫌われるとかは考えずに、自分のやりたいことをやる、という形をぶれさせてはいけない……書いた後、なんだかそんな気持ちになりました。
内容が内容なので、気軽におすすめはしません。
2月は他にtwitterのやりとりがきっかけでtwitterで書いた小説を、noteに投稿したりとかもしました。息抜きのつもりが面白いと言ってくれるひとが何人かいて、驚きとともにほっとしたのを覚えています。でもtwitterのやりとり見てないひとには何のことかさっぱり分からないだろうな……。反省。
3月はホラー収集マガジンというのを作りました。あくまで自身のホラー観に依ることを前提としたもので、今でもnote内にある面白いホラーを見つけたら、そこに収集しています。興味があったらぜひ立ち寄って欲しいです。ホラー好き集まれ~。
そして収集もするけれど、自分も書く、ということで、
この二作品が書いた中では印象に残っています。前者はホラー色強めの、後者はホラー色薄めの、両方ホラーですが、その温度は全然違ってます。
後は秋月みのりさんの企画に乗っかった形で書いた、
この記事は大好きな『夜市』を存分に語ることできて良かったな、と思っています。それにすこし足の遠のいていたブックレビューを記事という形で投稿できて、ほっとしたのもあります。
4月は、まず短期的に連載していた『私が殺した死体』が完結しまして、一安心という始まりでした。
タイトルと副題は色んな小説のタイトルをもじったものなのですが、全部分かる方は友達になりましょう……いえ、もう友達ですね。まぁそんな話はどうでもいいとして、とりあえずこの作品は、生死をテーマにした生ける屍の話です。それ以上でも以下でもありません。
この月はエッセイタイトル風小説と個人的に勝手に名付けている作品を大量に書いていました。このシリーズに関しては非日常的な要素を出す場合であっても、誤解を恐れずに言えば〈どこにでもありそうな〉身近な物語であることを重視して書いているところがあります。だから実体験と間違われかけたこともあります。間違われたらどうしよう……まぁそれならそれでいいか別に、の精神で書いてます。
印象に残っているのは、
この二作品。楽しく読んだ、と感想をくれるひとも多かったりして、私としては大変ありがたく、本当に嬉しいです。自分の知らなかった部分に気付かせてもらえるのが、感想の嬉しいところです。そこには常にそのひとにしか読めない読み方があります。
ここ最近は過去の作品の大幅改稿を積極的に行っていて、
過去の分は消さないまま、新作を書くようなつもりで改稿していて、元の作品を書くよりも長い時間掛かったりもしますが、創り終えた時の充足感はとても強いです。
レビューで言うと4月は、童話のレビューを書いてみたりもしていて、実は最近一番楽しんで書いたのはこれだったりします。
5月はまだ続いているわけですが、
敢えて全部おすすめです……とか言ってみましょうか 笑
別に疲れたから手を抜いたわけじゃないですが、自分の過去の記事を読み返すのに疲れたので、もうやめます。
最新の記事は、「#noteリレー」企画のために書いた小説です。
成長したのかしてないのか、変わったのか変わってないのか。まぁその辺は読む側の好きなように感じていただければ……。色々と羅列してみましたが、とりあえず約一年で約300記事書いているみたいです。
どの記事であろうと、出会ってくれたら、これに勝る喜びはありません。
note街外れの墓地より愛を込めて――。
この一年の中で出会ってくれたすべての方へ、ささやかな感謝を。