ここではモーツァルト(1756~1791)の歌曲『老婆』K517の楽曲分析を行います。、こちらは有節歌曲形式という形式の歌曲であり、モーツァルトではめずらしいホ短調の採用、ピアノ伴奏がバロック時代の通奏低音スタイルで書かれているなど、彼の作品の中では結構面白い要素が含まれています。詩と音楽がどのようにして描かれているのかを深く見ていきましょう。
1 概要
作曲されたのは1787年の5月18日とされています。同時期には弦楽五重奏曲第3番ハ長調K515と弦楽五重奏曲第4番ト短調K516が作曲されています。詩はフリードリヒ・フォン・ハーゲドルン(1708~1754)というドイツの詩人が書いたものです。内容は年老いた老婆が自分の若い頃はとても良き時代だったと懐古するというものになっています。
この歌曲は有節歌曲形式でかかれており、この形式はひとつの旋律を詩のそれぞれの節に割り当てるものになります。詩節が変わっても常に同じメロディが割り当てられるということになります。他にこの形式で書かれたものとしてはシューベルトの『野ばら』が該当します。
では実際に楽譜をみながら音楽的な特徴を見ていきましょう。
2 楽曲解説
2/4拍子 速度標記無し ホ短調
モーツァルトの作品でホ短調はめずらしく、他にはヴァイオリンソナタK304で使用されています。速度標記は書かれておらず、代わりにEin bischen durch die Naseと指示されており、「少し鼻にかかった声で」と歌い方が指定されています。
そしてこの楽譜では右手の部分が小さな音符で書かれていますが、この部分は補筆されたものになります。自筆譜には右手パートがほぼ書かれておらず、代わりに左手の低音部分は全て書かれています。
低音部分を参考に書かれていない右手パートを補う必要があります。バロック音楽の特徴である通奏低音風なものになっていますが数字が書かれていないのも不思議な点です。モーツァルトが即興的に演奏したため右手パートが遺されていないのか、あるいは意図的に書かなかったのか。ここはまだ謎が残る部分です。しかし自作目録にもしっかり記録されていることから、この状態でモーツァルトは完成したと思っていたのかもしれません。
詩を見てみると、1番と3番は若い頃に良かったと感じる部分を懐かしむ描写で、2番と4番が「今となってはこうなってしまった」と嘆く描写になっています。最後の❝O gute(schlimme) Zeit❞の部分に一番高い音が割り当てられているので、この老婆の一番言いたいことが❝O gute(schlimme) Zeit❞だと思わせるようになっています。
例えば叫びや問いかけなどを表す場合は上行音型や高い音を使い、しくしくと泣く時や恋人に愛を語り掛ける場合は高い音を控えて低い音で優しく歌う。歌曲やオペラにおける感情の表現に使用されるのが音楽修辞学と呼ばれるものです。これを理解することで歌曲、オペラのアリアをより深く理解することができるでしょう。
老婆の場合は老婆が昔を回想する場面には比較的低い音が割り当てられています。そして❝O gute(schlimme) Zeit❞において高い音を割り当てて老婆の「昔は本当に良かった」という感情を強く表しています。
この時代でも「昔の方が良かった」と感じる人はいたようですね。そこは現代になってもあまり変わらない部分だと思います。
この歌曲は特に有名なわけではありませんが、作曲技法に関しては興味深い点がいくつも潜んでいます。短い曲なのでぜひ聞いてみてください。
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