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フランス在住の日本人が笑い飛ばしているもの。

ひろゆきの中毒者

さっそくですが、皆さんに質問です。
皆さんは1日に何回「ひろゆき」と口にしますか?
または1日に何㎎のひろゆきを摂取していますか?
なかなか数字で表すことが難しい方も多いかと思います。
それでは質問を変えましょう。
YouTubeの検索ボックスにこれまで「ひろゆき」と入力して検索したことはありますか?
頼まなくてもYouTubeのアルゴリズムが、かってにサジェストしてくるような動画を、わざわざこちらから検索するような人は、はっきり言ってかなり重度のひろゆき中毒と言わざるを得ません。
ちなみに厚生労働省の定める1日のひろゆきの摂取量の目安は成人男性でおよそ300㎎未満です。
これはYouTubeの視聴時間に換算して5分です。
つまり、中年男性がビールを飲みながらしょうもない話をするライブ配信動画を、最初から最後までおよそ2時間通しで見ると1か月弱分のひろゆきを一度に摂取してしまうこととなります。
ひろゆきの過剰摂取は、がん、脳卒中、心臓病を引き起こす原因にもなり、命の危険にかかわります。
今すぐ生活習慣を見直しましょう。
ウィース!かんぱーい!

あのTwitterの沖縄のやつ

さて、みなさんにもひろゆきの恐ろしさを実感していただけたことでしょう。
かくいう私は、家事をこなす際はYouTubeでひろゆきの配信や日経テレ東大学のRe:Hackを聴き、平日夜はABEMA Primeを視聴しますが、とりわけ金曜日の配信を楽しみにしている、生粋のひろゆきっ子です。
そんなオイラでも……あっしまった!
一人称が「オイラ」になってしまった。
一人称に「オイラ」を使用するのは北野武か西村博之だけです。
さて、そんなオイラ私でも辺野古の座り込み抗議を嘲笑したひろゆきのTwitterの投稿は「よくねぇなぁ」「マジでよくねぇなぁ」と思いました。

何がよくねぇかと言うと、基本的に人間は毎日楽しく気分よく生きていたいものです。
ですが、人からバカにされると不快な気分になります。
不快な気分はやがて敵愾心に変わります。
人を侮辱することは争いしか生みません。
メンツを潰されたことで戦争すら起こすのが人類です。
ですので早急に謝罪をするべきだったのですが、ひろゆきはあろうことか沖縄の活動家たちを笑い飛ばし続けました。
多くの人が彼の態度を非難するのも無理はありません。

反ひろゆきと親ひろゆきの対立

先日マスナリジュンさんという方がTwitterのスペースで『ひろゆき的風潮を終わらせる方法を考えよう』というテーマでラジオをやっていました。

「彼の嘲笑は許されるべきではない」
「このまま、あの論破ショーを支持していては言論空間にとって良くない」
「即座に分かりやすいだけの答えを出すのではなく、難しいもの、答えにくいものは、そのままに受け止め、解決方法を考えていくべきだ」
「社会にだって急進的な解決策を求めるのではなく、漸次的に問題解決を進めていくべきだ」

というようなことを主張されていました。
それをきいた僕は「このひとのいうことはまったくもってそのとおりだな」と思いました。
そうです。
僕は話を聞いた傍からその人に賛同してしまう永遠の雛鳥です。

ただ恐ろしかったのは、その同じ時間で他にも、ひろゆきを糾弾するライブがYouTubeで配信されていたことです。
https://www.youtube.com/watch?v=gQCZISs4vUk


ひろゆきの言葉はヘイトだ!
やつは人種差別主義者だ!
あいつをキャンセルしろ!
ひろゆきッズのガキどもは愚か者だ!
同罪だ!
早く目を覚ますべきだ!

ひろゆき的なもの、ひろゆきのファン、ひろゆきに賛同する者、あるいは西村姓の人間は誰でも叩き殺していいという風潮が醸成されていました。
ひろゆかない棒を手にした自警団がWeb上を跋扈しているようでした。

先のマスナリジュンさんもスペースの中で
「彼にはすぐにでもメディアから立ち去ってもらうべきだ」
と述べていました。
それのへんは、ちょっと極端すぎるなと思ったので賛同しかねました。

個人の人格は、非常に多くの考えや性質により構成されていて、それらは本人ですら気づかないところで矛盾しあっていることさえあります。
なので、人の行動や発言ひとつを取り上げて「その人そのもの」を糾弾することはまちがっているし、ましてや賛同したりファンの人を非難するのは的はずれもいいところだと思ってます。
人をラベリングしてバッシングすることは不毛です。
罪を憎んで人を憎まずなんです。

論破ゲームのプレイヤー

ところで、ひろゆき的なものってなんなんでしょう?
ラベリングするのは不毛と言いましたが、あえて、ひろゆきっ子のオイラから言わせてもらうと二つあると思います。
ひとつは論破ゲームの言論プロレスですよね。
論破王って通り名もありますし。

昔の日本の人って、何か意見を言ってきた人間を諭すときに
「だけど、それは理屈だよ」みたいな不思議なことを言いました。
え?……理屈ですけど?
理路整然とした、筋の通った意見を述べたのですけど?
なんで逆説の接続詞から語り始めたのですか?
と本人が思っても、一昔前までは理屈を超えた何かがこの国にはあきらかに存在しており人々の思考を支配していました。
そしてそれは今もなお、日本社会に深く根付いています。
だけど、僕たちはこの理屈をこえた何かの支配にかなり倦んでいます。
理屈を跳ね除けようとしてくるのは大体が既得権益者です。
どんだけロジカルな主張も立場や上下関係で簡単に覆されます。
ちょっとネットで調べりゃデータやエビデンスがあることについても、目上の人の「おまえはわかってない」というすごく曖昧な一言で一蹴されます。
後に残るのは、ぐぬぬ感だけです。
そんな悔しい心に寄り添ってくれるのが、僕らの論破王ひろゆきです。
ネットやTVに現れて、相手が右でも左でも、ポジショントークをかます連中を笑い飛ばしながら言葉の刃で切り捨てていく。
そして僕たちは論破されていく連中に憎いアンチクショウの姿を重ね合わせて、日ごろの鬱憤をはらすのです。

言うててなんですけど、これははっきり言って、ひろゆきの負の側面だと思うんです。
軽やかな口調で言うので、なんとなく正しい感じがするのですが、割と根拠不明なこともたくさん言っているので、彼の言葉を鵜呑みにするのは危険です。
そもそも、あの論破術、まねようと思えばそう難しくないです。
まず自分の立場作らない。
そして自分から意見を述べない。
相手の意見の粗を見つけてそこだけを集中的に指摘する。
カンタンです。
あたりまえですけど、これをやると確実に嫌われますし、人間関係が崩壊します。
それに議論という点においても全くもって建設的ではありません。
解決策を見出さない殴り合いです。
僕は論理や理屈なんて後回しだと言いたいのではありません。
論破ゲームが不毛なんです。
ほっておくと日本の言論空間でどんどんアウフヘーベンできなくなっていきます。
今求められるのは論破王ではなく止揚王なのです。
「あなたの意見をひとつのテーゼとして、僕はここにアンチテーゼを述べさせていただきます。で、そのふたつをアウフヘーベンすることで、ジンテーゼを導き出します」
っていう感じの人です。
そういう人探してきてください。
命令です。


無能の肯定

いっぽうで論破ゲームだけではないひろゆき的なるものもあります。
YouTube配信を気に入っている人も大勢いて、あれを睡眠時に聞くとよく眠れるという方もいらっしゃるようです。
僕もやってみましたが、ふつうに寝たほうがよかったです。
でも彼のYouTubeは聞いてると少し気持ちが楽になるときがあります。

ひろゆきはすぐに
「生活保護を受けましょう」
「無職でもいいじゃん」
ってなことを言いますよね。
彼のことを自民党政権の擁護者だとかリバタリアンだとか言いう人もいますが、右か左かでいうと、わりかし左寄りかなと思います……現時点では。
無能や能力値の低い人間は単純労働に従事せずに国からお金を貰って楽に生きていければいいと主張しているところから、手厚い社会保障を行う「大きな政府」の賛同者なんじゃないかなぁ……とも思います。
国からお金を貰って何かオモロイことでもやりなよ、的なスタンスなんでしょうね。
2ちゃんとかニコニコで無職の面白い人たちを見てきたから、そういう考えに至ったとも考えられますね。
しらんけど。

世の中は、人間にある一定の能力値を求めます。
ひとかどの人間であることを求めます。
成長やチャレンジを求めます。
夢や目標を持つことを求めます。
正義や信念を持つことを求めます。

正直しんどいっす。

人生が順風満帆な人たちはそりゃ難なくクリアできるでしょうよ。
だけど、追いつめられて落ちぶれて、あるいは最初から何もできないような無能にとって、まっとうな人間であるために、これらを追い求めることって果てしない闘いのように思えるでしょう。
誰かがその人を苦役から解放してやらなければいけません。

そんな時、フランスから黄色いパーカーを着たひげ面でロン毛のオッサンが、ビールを飲みながら
「無能は生活保護でも貰って、毎日、面白おかしく楽しく、生きてけばいいじゃん」
と声を掛けます。

社会である程度の成功を収めた人間が、人々を縛る世間の価値観を笑い飛ばしてくれたことにより、己の無力感に思いつめた人々は
「いろいろダメになったら生活保護をもらえばいいのか」
と気持ちが楽になり、明日も一日生き延びることができるのです。

人によっては「無能」という言い方に怒りが湧くかもしれませんが、やはりこういうところは、彼の好意的に受け止められ、支持されているているところだと思います。

信念を持つ人への敬意

しかしながら人間は無能や明日の生活もままならぬようなメンタルの人間ばかりではないです。
ちゃんと朝昼晩飯を食い、まっとうに生きてる人間もいます。
あろうことかその余力で慈善活動や社会運動をする方々もいます。
まったく見上げたものです。
彼らは信念を持ち、世の中を良くしようとしています。
信念をもっている人を笑い飛ばすと、そりゃぁ、めっちゃ怒られたり顰蹙を買ったりします。

たしかに基地建設反対活動って、日本やアメリカという国家権力の前ではあまりにも無力です。
座り込みを続けたとて、工事は止まりません。
わざわざ人生の貴重な時間を割いてトラックの進行を阻むよりは、他にもっと楽しいことがあるにきまってます。
どうせ座ったところで機動隊員に引っこ抜かれるのがオチなんですから。
笑い飛ばして考えないようにしてしまえばどれだけ楽でしょう。
土砂に潰される美しい海も、母を殺した米兵への怒りも目をつぶってしまえば気に掛ける必要もありません。
いずれ去り行く浮世の出来事なのですから。
ですがそれでも守り抜こうとするのが信条であり信念です。
これは私の感想なのですが、無駄で不格好かもしれませんが、こういう活動がこの世から消えてなくなると、人々の生活ってなし崩し的に権力の前に崩れていきそうな気がするんですよね。

もちろん万人が信念を持って闘うべきとは言いません。
出来ない人がそれをしようとすると潰れてしまいます。
まずは自分の生活をどれだけ心地よくできるかにフォーカスしましょう。
なので信念をもてないような無職やニートや子供部屋おじさんや子供部屋おばさんの人たちは、信念を貫く人たちを嘲笑したりなどせず、敬意を払いながら生きていきましょう。




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