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こんな時だからこそ考えたい「街と家」

皆さんお疲れ様です。リコです。

コロナが猛威を振るい、うかつに外出もできない今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。ステイホーム、基本的に家から出ずに過ごすことが推奨されている中、鬱々とした気持ちで過ごされている方も少なくはないと思います。正月休みが終わり、気持ちを切り替えようとわたくしリコも自分に鞭打っているところであります。ちなみに簡単なライフハックとして、自分は気持ちを落ち着けるときに音楽を利用しています。音楽は時に自分の精神状態にリンクします。テンションを上げて筋トレをしたい時、集中したいとき、リラックスしたいとき、その場面それぞれに適した音楽があるはずです。私はできるだけ自分の気持ちのレベルを安定に保ちたい、変化を与えたくない時が多いので、極力同じ音楽を聴く習慣を持っています。じっくりと何かに向き合いたいとき、リラックスしながらも頭を使い時は、聴き心地の良い洋楽と決まっています。このテクニックは映画監督のリュック・ベッソンさんも使っていたようです。地味にお気に入りのライフハックです。

ところで私たちは今、街の中で生活をしているでしょうか。そう実感しているでしょうか。自分は昔から、街の中で生きているという感覚を持っていました。例えば私は東京の比較的下町のエリアに住んでいるのですが、昔ながらの商店街、飲食、喫茶店、銭湯などが至る所にあります。洋食屋でご飯を食べて喫茶店で本を読んで、ペットショップの犬猫を見て、映画を見て、飲み屋で一杯ひっかけて、銭湯で汗を流して、帰って寝る。また朝が来たら公園を散歩する。昔はそんな日常が当たり前でした。職場も家から近いことが多く、満員電車で都心に向かうスタイルは長い歴史から考えれば最新のトレンドです。

ところがいま私たちは街の中で生活しているでしょうか。必要最低限の生活、エンタメ、娯楽、仕事でさえも家の中で完結します。住宅の建築技術もここ数十年で向上し、家のなかは快適そのもので寒くも暑くもない、騒音もない、最新家電もそろっている、まったくもって至れり尽くせりです。何の問題もありません。おまけに言えばうちはマンションなので家の手入れなどほぼ皆無、共用部分の清掃等は管理人さんが面倒を見てくれます。面倒な近所付き合いもない。私は今街とのつながりを絶たれても、生きていけます。私と妻と子供に危害を与えなければ、過度に干渉してこなければ、私はこの街に何の不満もない、こんな状態です。

我々成熟した現代人を長い歴史の中で端的に表現する言葉として、自分としては「戦わない」人たちだと思います。「争わない」というより、「戦わない」。ある程度のことは自己完結できるんです。閉じこもっても怒られないし、むしろ当たり前。過度に干渉しあうことなく、着実に身を固めていく。共有もいいけど、肝心な部分は個人保有していく。浪費はよくないけど、消費はある程度していく。そんなあり方がじわじわと広がっているように思います。このあたり、次回家族論、世代論と結びつけて広げたいです。

立派な機能を持った個々の住宅の集合体を、私は街とは呼びたくありません。いつかまた大手を振って街を歩ける日が来ると信じて。あけましておめでとうございます。

#街  

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リオ
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