どうして職務記述書は簡単に内発的モチベーションを破壊するのか(雑記)

前提として現在多くの人が個人なり組織なりで働いているとして、一体誰のために働いているのでしょうか。会社のためでしょうか。上司のためでしょうか。それとも扶養している家族のためでしょうか。いやいや違います、出資頂いている株主のためです。業界の未来のためです。社会のためです。人類全体のためです。本当でしょうか。自分は自分自身のために働いているのではないでしょうか。

人は誰でも自分なりの目的を持って働いているはずです。個人ごとに抽象度の差はあると思いますが、みな意識的か無意識的かは別として、必ず持っています。持っていない人は本当に忘れてしまったか、もしくは無くしてしまった方になるはずで、遅かれ早かれ何かは見つかると思います。

社会的な平均のレベルから見て、高いレベルにおられる方、一般エリートと呼ばれる方の多くは目的を持って働いていて、その目的の抽象度は高い傾向にあります。例えば自分が過去に出会ったことがある方でいうと、国際貿易を通じて母国の貧困問題を解決するために働いている、仕事を通じて自民族の立場を向上させたい、といった方がいました。またおそらくフードロスを削減したい、持続可能な開発で国や地域を発展させたい、性差別をなくしたい などといった理念をもとに働いている人も、必ずいるはずです。

どんどん話が大きくなっていますが、本来的に会社に言われたことだけを、決められた範囲の中で、自ら進んで情熱と意欲持ってやりたいんです という人はいません。いたとしても圧倒的少数です。

昨今日本でも職務記述書(JD:Job Description)が一般的になってきたように感じます。日系企業は外資系のカルチャーを定期的に取り入れようとする傾向があるので、多分それは思いつきでやったのだと思いますが、これは結果的にメリットと同時にデメリットももたらすことになりました。

言わずもがなですが、職務記述書は欧米から来たものです。では例えばアメリカには年間どれくらいの労働案件訴訟があるでしょうか。労働問題専門弁護士はどれくらいの数いて、労働者の心を癒すカウンセラーや精神科医、ヨガや瞑想の先生はどれくらいいて、人事労働案件に詳しいコンサルタントはどれくらいいて、調査会社はどれくらいいて…それはそれは日本人が想像もできない数の専門職が、この問題のためだけに来る日も来る日も働いて、高給を稼いでいるはずです。もう言わんとしていることはお分かりですよね。

飛びぬけて優秀な人を、会社や組織特有の狭い価値観で縛り付けておくことは絶対にできません。高い理想を持つ人ほど、目先の契約にはとらわれないのです。組織運営上必要であるなら廃止しろとは言えませんが、この内容をきちんと定義するために際限なく時間をかけることには賛成しません。優秀な人は誰かに言われなくても、自分の中に答えを持っているのですから。

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