読書感想文的な25 『太陽のパスタ、豆のスープ』宮下 奈都

『太陽のパスタ、豆のスープ』宮下 奈都

結婚式直前に突然婚約を解消されてしまった明日羽。失意のどん底にいる彼女に、叔母のロッカさんが提案したのは“ドリフターズ(やりたいこと)・リスト”の作成だった。自分はこれまで悔いなく過ごしてきたか。相手の意見やその場の空気に流されていなかっただろうか。自分の心を見つめ直すことで明日羽は少しずつ成長してゆく。自らの気持ちに正直に生きたいと願う全ての人々におくる感動の物語。

夏のなんかあれのカバーがかわいくて買った本。
あとなんか優しそうな気がしたから買った本。

よくも悪くもふんわりしたかんじで、わたしはそれが好きだった。
主人公のあすわ、20代までなんとなーく生きて、全部がうまくいってるかと考えたらそんなことはないけど、でも失敗じゃないし、失敗じゃないなら成功かなみたいに思ってそうなとこが好き。
婚約破棄がきっかけで、なんとなくこれでいいと思ってたのが崩れてしまう。あれ?もしかして全部だめだったのかなっていう不安。
自分の芯みたいなのがない気がしたり、これまで積み重ねてきたものがなくなった気がしたり、いや待ってそんなん最初からなかったんじゃ…?って弱気になったり。
これまでなんとなく過ごしてきたから、これからどうしたらいいのかわからなくなる。そもそもどうしたいのかもわからない。
でも周りの人たちにはそれがあるように思える。いくちゃんの豆みたいに。
努力の結果とか、好きなものとか、向かっていく方向とか。
努力してないのは自分だと受け止められても、なにに向かって進むかがわからないのは途方にくれる。


失意のどん底から急激に立ち直るって、たぶんない。
ちょっとずつ受け入れて、ちょっとずつ消化したり昇華するしかなくて、そういうときって結局は「いつもの毎日」が役に立つ。
鍋を毎日使うとか、下ごしらえを丁寧にするとか、洗濯物を片付けるとか。
仕事をばりばりしてる人はそれが仕事なのかもしれない。
わたしはちゃんと毎日を過ごしているって思えるような「いつもの毎日」。

お母さんの「毎日のごはんがあなたを助ける」っていう言葉は、毎日なにかを繰り返して積み重ねることが、いつか自分を助けてくれるってことなんじゃないかな、と思った。
ごはんを作るってひとりで完結できて、他人に左右されないし。
あと、なんかやらなきゃいけないことがあるって、落ち込んでるときには助けになったりするよね。
やらなきゃいけないと思うとちょっと気が重くても、ちゃんとできたって思えることは立ち直るなにかしらの手助けになる。


「二十代はみんな焦るよ」
「焦らなかったら嘘、ってくらい焦るよ」

このロッカさんの言葉がめっちゃ好きだった。
20代を卒業して2年くらい経つけど、そういえばなんか焦るよねって思い出した。

つまり、自分に趣味も特技もやりたいことも何もないと気づいてしまった私ではなくても、妙齢に二年間つきあった相手に婚約破棄された私でなくても、焦るということか。

わたしには趣味も特技もやりたいこともないって焦る。わかる。
じゃあ20代を通り過ぎた今、わたしにこれこそ!というものが見つかったかと考えると、うーん、どうでしょうってかんじだけど、あの言いようのない焦燥感みたいなのはなくなった。
なんでだろうって考えると、やっぱり日々を積み重ねたからなんじゃないかと思う。
まぁいいんじゃないのと思える範囲が広がったのかもしれない。それもいい。
これくらいではわたしは揺るがないわという範囲をどんどん広げていきたいんだよね。
でも、それを広げるのも結局は毎日の積み重ねなのかなと最近思う。

だから、結局は平凡な日々をちゃんと大切に過ごすことなんだろうな。
どきどきはドラマみたいなことが巻き起こったとしても、ふつうの日のほうが圧倒的に多いはずだし。





よし、ドリフターズ・リストを作ろう。


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